興味と現状に同化してゆく
 物音に釣られて顔を上げる。黒猫が床を歩いていた。
 生活用品と本で溢れかえった床は猫が歩くだけで物音がするみたいだ。足の踏み場の無さに呆れたように鳴いたかと思ったら、が寝転んでいるベッドまで飛び乗った。足元に座り、そのまま丸まる。
「素早い動きが猫の自慢じゃないの?」
 黒い塊にそう問いかけると、ニャーと小さく鳴いた。 「それとこれとは別だ」 と言い訳をしているように聴こえて、思わず笑ってしまった。
 再び視線を手元に戻す。小型のノートパソコンの隣に置かれているマウスに手を置き、操作を再開した。間食に、一週間前に岡山で購入した吉備団子を摘む。
 パステルカラーのノートパソコンは自分のもので、有名な電子機器メーカーのロゴが目に入る。キーボードを押すときに鳴るカタカタとした音が、とても心地よい。マウスを細かく動かし、レイアウトを細かく決める。依頼通りのデザインをするのは難しいが、にとってはパズルを組み立てるような感覚で行っている。ちなみに、非常に楽しんでいる。
 足元に猫の体温を感じながら、再び手放した集中を取り戻そうとしたその時だ。またしても物音が聞こえた。
 大きく突発的な音だったため、思わず飛び上がってしまった。
「今度は一体何なの!」
 辺りを見回すも、今度は簡単に原因が解りそうもない。無意識に肩を震わせた。
 が黒崎の家に居候して、はや一週間になる。 「仕事がない」 とぼやいていた黒崎は、手形パクリ関連の仕事が入ったようで、近頃よく出掛けている。とはいっても、はまだ三日ほどしか留守番をしていないが、不可思議な物音が聞こえるようになったのはついさっきからだ。
 もしかするとポルターガイスト現象などの霊的な物音ではないだろうか、と疑い始めたとき、またしても大きな音が室内に響き渡った。
 何処から鳴っているのだろう。気にしない素振りをしてみたものの、やはり気になって仕方がない。まさか、霊現象ではなく泥棒? もし泥棒だったら、見て見ぬ振りは出来ない。音を立てないようにパソコンを閉じ、起き上がって耳を澄ました。の視線が部屋の奥に向いた。黒崎が言うに、奥の方に金庫があり、今までシロサギから奪った金が納められているらしい。が泥棒なら、格好の獲物になる場所だ。
「・・・・・・あれ?」 歩き出そうとした足が止まった。表情が怪訝さを増す。どうやら物音が聞こえているのは奥からではないようだった。
「どっちかと言うと、壁の向こうから聴こえているような気がする」
 足音を立てないように、今度は壁に耳を付けた。がたがたと、何かを置く音が何度も聴こえる。やはり、隣室から聞こえていたのだろう。
 脳内で泥棒が居た場合のシュミレーションをしていたは、肩透かしを食らってしまった。寧ろ泥棒が入ってくれたほうがスリルが味わえたものだ。
 物音の原因は解ったものの、今度は隣が一体何をしているのか気になって仕方がなくなってしまった。
「模様替えでもしてるのかなぁ」 仕事が手に付かず、結局またパソコンを閉じてしまった。
 少し外に出てみようか。考えるより先に足が動いてしまっていた。 「ご挨拶しなくちゃいけないしねー」
 ドアノブをゆっくり回し、そのまま音も立てずに押し開けた。隙間からそっと顔を出して外の様子を窺う。丁度その時、鉄の階段を昇る音が高々と聴こえた。この時のは、まさか物音の元凶である隣人が昇ってくるとは思わなかった。
「クーローちゃん!」 おかえりー、と飛び出したは、瞬時にその意地が悪そうな笑顔が凍りついた。 「・・・・・・あれ?」
「え?」
 そこに立っていたのは、黒崎とは似ても似つかない、女性だった。よりも長身で、明るい茶色の髪を背中辺りまで伸ばしている。どちらかと言うと美人で、困惑顔を浮かべていた。 「・・・・・・ク、クロ?」
 やってしまった、と頭を押さえてしまった。彼女はどう見ても、いや見なくても黒崎では無い。
「ご、ごめんなさい人違いでした」 苦笑いを浮かべて謝る。 「えっと、あなたは?」 隣人の友達ですか? と図々しくも続けてみた。
 すると、女性は焦って首を振った。 「そうじゃなくて、隣に引っ越してきた者です」
「・・・そうなの?」
 驚いた拍子に隣家に目を向けた。一ヶ月ほど前までが住み着いていた場所だ。確か先ほどまで物音がしていたはずなのだが、在宅中ではなかったのだろうか?
「もしかして泥棒でも入ってる!?」
「えっ、泥棒?!」 突飛な言葉に彼女も動揺を見せた。 「泥棒が入ったんですか?」
「いや、そうじゃなくてあなたの家だってば」 焦りのせいか、の口調も早い。 「物音が凄いから外出中に泥棒が入ったのかもよ」
 束の間、女性はきょとんとして見つめ返した。だが、すぐに 「あ!」 と声を上げた。謎が解けたような、そんな晴れやかな表情がには不思議でならない。
「いや、そうじゃないんです」 首を千切れんばかりに振った。「今引っ越してきたばっかりだから、家具の音が煩かったかもしれない」
「・・・・・・今引っ越してきた?」 またしても拍子抜けだ。
 がっかりとばかりに首を項垂れるを見て、隣家の女性は不思議そうに 「どうしたんですか?」 と訊いてきた。
 まぁ早とちりをしたのは私のほうだし、つまらないなんて思ったら失礼か。仕方なく、強引に自身を納得させたのは言うまでもない。


「えっと、仕切り直すわ」 何かを振り払うように左手を振った。 「私は朱崎って呼んでね。あなたは?」
「吉川氷柱よ。よろしくね、えっと、・・・・・・ちゃん」
 呼び捨てでいいのに、と思ったが、そこまで気にはならない。満面の笑みで 「氷柱ね!」 と呼んだ。 「今引っ越してきたの?」
「うん。契約はしてたんだけどね」
「何か手伝おうか?」 どうせ仕事もしないだろうし。
「友達に手伝ってもらってるから大丈夫だよ」 氷柱が答えると同時に、隣家のドアが開いた。見知らぬ女性が笑顔を浮かべて出てきた。のんびりした印象を持つ女性だ。
「氷柱ちゃん、あの荷物で最後?」 と、やはり口調ものんびりしている。ドアの前に立っていたのは氷柱ではなくだったため、言い終わった後でようやく吃驚しているようにも見えた。
 彼女がその 『友達』 か。見据えたのも束の間、笑みを作って挨拶をした。
「氷柱のお友達でしょう? こんにちわ」私は朱崎って呼んでね、と先ほど氷柱に向けた言葉をそのまま使いまわした。「隣に住みついてます」
 そうなんだー、と抑揚の無い声で、彼女は自己紹介をしてくれた。 『ゆかり』 と言うらしい。
「もしかして、ちゃんが大家さんなの?」
「大家さん・・・・・・って、私が?」
「隣の部屋に大家さんが住んでるって氷柱ちゃんが言ってたんだよ」 ね、とゆかりが横を見た。氷柱も頷く。
「私が大家さんだったら良いんだけど」 苦笑せざるを得ない。溜息混じりに 「私は居候中。本当の大家さんは、さっき氷柱と間違えたクロちゃんなのよねぇ」 と言った。
「 『クロちゃん』 って? あだ名?」今度は氷柱が訊ねてきた。
 どうやら始めから不思議に思っていたのかもしれない。契約時に黒崎とは顔合わせをしていないのだろうか?
「大家さんの名前は黒崎って言うの。だから 『クロちゃん』 !」
 別に自慢することでは無いのに、無駄に胸を張ってみた。しかし黒崎と言う名前を聞いた途端、氷柱の表情が強張った。そして隣に立つゆかりは表情を明るくした。
「ねぇ氷柱ちゃん、黒崎ってもしかしてあの人かな?」
「そんな馬鹿な話があるわけ無いでしょ!」 氷柱の表情は嫌なものを思い出したとばかりに歪んでいる。 「詐欺師がアパート経営なんてしてるなんて」
 詐欺師? 黒崎のこと? 全く話が読めない。 「誰の話をしてるの?」
 は氷柱に聴いたのだが、答えたのはゆかりだった。二週間前、彼女は美容品を使った詐欺に遭ったらしく、それがきっかけで会ったのが黒崎という名の詐欺師だったそうだ。「ゆかりはお金を取り返してくれたから良かったんだけど、氷柱ちゃんが毛嫌いしてて」
「だってその男も詐欺師よ? 犯罪じゃない」
「・・・・・・へえー」 そんなに嫌っているのか。これは言い出し難いぞ、とは苦笑いを浮かべるしかない。 「えっと、悪いけど・・・・・・その人が大家さんであり、 『クロちゃん』 なのよね」
「はあっ!?」 案の定、ショックを受けたように、氷柱が凍りついた。
 ゆかりはというと、 「うわあ、良かったじゃない」 と素っ頓狂な反応を示した。 「氷柱ちゃん、詐欺に遭っても大丈夫だね」
「大丈夫じゃない!」 まさか契約書に細工でもしてないでしょうね、と音を立てて部屋の中に入っていった。残されたは、ゆかりと苦笑いをするしか無いみたいだ。
 契約書に細工したところで、クロちゃんに利益はないと思うんだけど。心の中で思ったものの、言葉にしても氷柱が聞いていないと意味が無いため、言わないことにした。ただ、溜息をついた。


「そうだ、ゆかり」 思い出したように切り出したが、実際すっかり忘れていた。 「岡山土産の吉備団子があるんだけど、食べる?」
「え、いいの?」 ゆかりの表情が綻んだ。チョコレート味だとは言い忘れたのだが、まあいいか。
 取って来るね、と部屋の中に入る。靴を乱暴に脱ぎ捨てて、そのまま寝室まで向かった。吉備団子が置いてあったベッドを見ると、何か違和感を感じた。何だろう、何かが足りないような、そんな気がしてならなかった。
「・・・・・・あれ?」 パソコンのすぐ横に、白い長方形の箱が置いてある。箱の中は細かく区切られていて、正方形が二十個詰め込まれているように見えた。良く見ると、空っぽだと解った。 「これに吉備団子が入ってなかったっけ?」 箱を上げて、下に敷かれていた蓋を裏返した。確かに 『岡山名物きびだんご 生チョコレート味』 と書かれているではないか。
 の表情が、徐々に青く変わっていった。全部食べた覚えは無かったはずなのに、何故、吉備団子が消えている?
「まさか、吉備団子泥棒だったりして」 口に出すと、振り出しに戻った気がした。流石のも 「それはないか」 と、早々と否定してしまった。
 ふと、ベッドに乗ってきた黒猫に目が行った。口元が、何故か黒色とは異なった色をしている。 「・・・・・・もしかして、あんたが食べたわけ?」 ニャー、と鳴いた。返事だろうか?
「あーあ、どうしようかな」 ゆかりにあげるって言っちゃったし。
 暫く箱を見つめたまま黙り込んだが、やがて部屋から紙とマジックを探し出した。紙に書いたかと思ったら、それを箱に入れて蓋を閉じた。 「うん、これでいいか」 どうせ自分のせいでは無いし、と開き直ることで納得した。


「ゆーかーり!」 再び唐突にドアから飛び出した。ゆかりのほかに氷柱も居た。契約書をチェックしてきたのだろう。「あれ、氷柱もいたー」
「ねえちゃん、今氷柱ちゃんと話してたんだけどね」 期待いっぱいの笑みで、ゆかりが訊ねた。「ちゃんって黒崎さんと一緒に住んでるんでしょう?」
「え? うん、居候中」
「じゃあちゃんも詐欺師?」 今度は氷柱だ。少しばかり心配と緊張が混じった顔色をしている。
 ・・・・・・詐欺師だったら、どうする?
 そう言おうとしたが、やめた。さっきの氷柱の反応が怖かったと言えば、そうかもしれないが、何より彼女達と友達になれなくなることが怖かった。友達なんて日常には必要ないことだと黒崎は言うだろうが、興味をそそるものを自ら壊すつもりなんて毛頭もない。
「私の職業は、HPデザイナーだよ」
「HPデザイナー? なのに犯罪者と一緒に住んでるの?」
 変だ、と言いたそうだが、面と向かっては言えないのか、氷柱の表情は煮え切らない様子だ。
 詐欺師という職業柄、演技は慣れているつもりだった。今も笑える場所では無いが、仕方なく屈託の無い笑顔を見せている。ただ確かなのは、どれも嘘ではないことだ。 「クロとは詐欺がきっかけで知り合ったけどね」
 そこから先を喋る気は無かったが、幸いにも、氷柱が問いただしてくるようなことは無かった。
 ただ、煮え切らない表情はまだ消えていないようだった。


「そうだ、ゆかり、これ」 出来れば話題を変えたかった。しかし悟られないように、手に持っていた箱を渡す。 「吉備団子持ってきたよー」
 受け取ってお礼を言われたが、苦笑いを浮かべた。 「えーと、ごめんね」
「え?」
「氷柱も・・・ごめんね」 氷柱の方には感情を込めた。詐欺師ではないとは言っていないにしても、ごまかしたのは事実だ。二人とも何か言いたそうな表情を浮かべたが、牽制するように続けた。 「じゃあ仕事があるから、またねー二人とも!」
 部屋の中に入っていったを見て、さぞ不思議に思ったはずだ。しかし箱の蓋を開けられる前に消えておかなければならなかった。
 ドアにもたれる。この向こうで起こっている出来事が想像ついた。恐らくゆかりが嬉しそうに箱を開け、飛び出た紙に目をやるはずだ。そこには 「人間に感化された猫が一匹、あなたの吉備団子を奪っていきました」 と書かれている。勿論の字だ。唖然として、再び箱に目を落とすと、団子らしいものは何一つ入っていなかった。そういうシナリオだ。
「あー、楽しかった」 悪びれることはない。猫の仕業は仕方が無いことだ。
 クロちゃんが帰って来るまで仕事の続きでもするか、と乱暴に靴を脱ぎ捨てて中に入って行った。


■ author's comment...

  クロが・・・クロが出てきませんでした。何でだ!?(聞いてどうする)
  いや、最後に登場させるはずだったんですが、なんだか長くながーくなったので、断念しました。
  岡山土産の吉備団子がとりを飾ってよかったのでしょうか。まぁ地元県民としては嬉しいやら・・・
  ちなみに吉備団子、本来はひらがななんですよ。しかも色んな味があるんだとか。餡子嫌いなので食べたこと無いですけど。
  今度、みたいにチョコレート味を買ってみようと思いました。なんて話、どうでもいいですよね(笑)

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