朱鷺が隣で羽根をたたむ

 此処は本当に東京か、と疑うほど、雑踏の音は聞こえなかった。
 しんと静まり返った 「スナック桂」 は、灯りも仄暗いせいか、外で燦々と太陽が輝いていることも忘れさせてくれる。
 もっとも、黒崎にとってはこの場所よりも太陽の下のほうが居心地良いのだが、今は仕方がない。人間は仕事をしないと生きていけないのだ。
「なぁー親爺、何か仕事ないのかよ」 むすっ、とした表情のまま、黒崎が言った。
 カウンターの上で肩肘を立てて、だらしない格好をしている。
「ここんところ、暇で仕方が無いんだけど」
「仕事なら与えているだろう」
 カウンター越しに立っている桂木が、無表情のまま答えた。果物を切る音が静かに聞こえる。
「あんなチンケなシロサギ、仕事のうちに入んないね」 嘲笑混じりに溜息をつく。
 黒崎と桂木、二人の関係には、ある因果がある。それは、自身の職業に影響していた。
 職業は詐欺師だ。しかも、唯の詐欺師ではない。黒崎が思うに、詐欺師とは三種類に分けられる。
 一人目は、人を騙し金銭を毟り取る 「白鷺」 。
 二人目は、異性の心と体を弄ぶ 「赤鷺」 。
 そして三人目は、人は喰らわず白鷺と赤鷺のみを喰らう、史上最凶の詐欺師 ―― 「黒鷺」 。
 最後の詐欺師は誰でもない、自分のことだった。黒崎は、家族を失った元凶である詐欺師を消すために、憎むべき相手である桂木を頼って、今日まで二種類の詐欺師を喰らい続けていた。
 そういえば、と思い返す。そういえば、もう一人だけ特異な詐欺師がいた。
 黒崎の周りをうろちょろと、まるで落ち着きのない猫のように纏わり付いていたはずだが、ここ一ヶ月ほど、姿を見せなかった。猫が気まぐれに旅をしているかのようだな、と深く溜息をついた。


「ずっとそこにいても、仕事は入らないぞ」 桂木が煩わしそうに横を向いた。
 そんなことは解っている。不服そうな表情をしたが、ふと気になって訊ねてみた。
「そういや、最近見ない奴がいるんだけど、俺の気のせい?」
「誰のことだ?」 何かに反応するように桂木は振り向く。視線を一瞬逸らしたが、黒崎の方にやる。
「本気で言ってるのか・・・・・・?」
 予想外の反応に、脱力してしまった、その時だ。身体の回りを纏う重力が一層強まったような、そんな感覚に襲われた。何かに引っ張られるというよりも、上に何かが乗っかっているような気がしてならない。拍子に、口に銜えていた飴を落としてしまった。 「ずしっ」 とした効果音がありそうだが、あいにく聞こえたのは、聞き覚えのある能天気な声だった。
「クーローちゃん!」
「は?」 何やら悪寒がして、振り返る。案の定だった。
「やっぱり此処に居たー」 と嬉しそうに抱きついてくる相手は、先ほど思い返していた、もう一人の特異な詐欺師だ。名前は朱崎といい、黒崎や桂木は 「」 と呼んでいる。艶のある髪が、黒崎の前まで流れ落ちる。爛々と輝く瞳は活発さを窺わせ、黒崎は早くも疲れを感じてしまった。
 猫の旅も一ヶ月しか続かなかったのか。再び深く溜息をつき、首元に巻かれる腕を解いた。
 黒崎から離れ、隣に座ったが、桂木と目を合わせた。 「こんにちわー、小父様」
「久し振りだな、
 ついさっきまで存在を忘れていたくせに、と黒崎が呆れた視線を送る。それに気付いたのか、気付いていないのか、桂木は 「上手くやったのか」 とに訊ねた。
「ばっちりだよ!」 とピースサインを見せている。本当かよ、と疑いたくなる。
「それにしても小父様、岡山って初めて行ったけど、長閑で良い所だねー」
「岡山?何でそんな所に行ってるんだよ」 そもそも、何で親爺はそれを知ってるんだ?
 黒崎の質問を待っていたのか、は一層顔色を明るくさせた。 「お仕事!凄く楽しかったよ」
「仕事って、どれだよ?」 呆れるほかない。
 実際、は複数の仕事をこなしている。
 一つは言わずもがな、詐欺師だ。だが実際は、詐欺師の仕事はあまりせず、黒崎の手伝いをしている。
 そしてもう一つは、 「HPデザイナー」 だ。こっちは副業で、依頼を受けてホームページをデザインし、提供するだけの仕事だ。パソコン業に長けているには、子供が新しい玩具で遊ぶように、楽しんでいるようにも見える。
 さらにその特技を生かして、詐欺師業界では有名な、いわゆる 「裏サイト」というものを管理しているそうだ。黒崎も実際に見たことは無いのだが、の話だと、桂木に依頼されてそのサイトで情報操作を行うらしい。恐らく、黒崎が詐欺師をしている以上、必ず一度は見ることになるのだろう。
 仕事、と一言で片付けられるような数ではないことに気付いたのか、が 「あ、ごめん」 と笑った。
「えっとね、 『詐欺師』 の方」
「詐欺師だって? ってことは、親爺の差し金か」 表情には出さなかったが、内心で驚いた。「よく、一人で行かせたな」 と皮肉めかす。
 それはどういう意味よ、とが吼える。しかしすぐに 「確かに楽だったけどさ」 と付け加えた。素直に言うところが、らしい。
「どんな詐欺師だったんだ?」
「融資詐欺。仕事は凄くつまんなかったよ」 わざとらしく溜息をついている。
「へぇー、融資詐欺。確かに喰い甲斐のないシロサギだ」 黒崎もを真似て溜息をついてやる。
 ポケットからごそごそと、先ほど落としたものと同じ飴を取り出した。なんだグレープ味か、と肩透かしを食らった。外装を外して口に入れる。ふと、視線を感じて首を曲げた。が含み笑いをして、 「相変わらずだね」 と零している。
 一ヶ月やそこらで変わる訳ないだろ、と言い返そうかと思ったが、やめた。言わせておくか。


「そうだ、クロちゃん」 ぱん、と手を叩き、が楽しそうな声を上げた。「いつも通り、アパートの部屋貸してよね」
「あ、悪い」黒崎は、そこで初めて苦笑いを見せた。「別の奴に貸した」
 途端、の顔が強張った。「え、何で!? 私が住んでたじゃない!? 居なかったと言っても一ヶ月だけだし」
 期待通りのリアクションに、黒崎も笑ってしまった。もちろん、黒崎にも言い分はあった。
「何でって、賃貸契約してないだろ?」
 案の定、が言葉を詰めた。まるで彼女の頭上に 『賃貸契約』 の四文字が降ってきたかのように、肩を落とした。
「それを言われちゃ何も言い返せないじゃない」
「ま、諦めるんだな」
「諦めろといわれても簡単に諦められないわよ」 顔を崩したまま、声を荒げた。
 その様子を見ながら黒崎は、黙っていればそれなりに可愛らしい風貌なのに、台無しだと思えてならなかった。
「まるで 『家なき子』 みたいな口ぶりだよな、お前」
「家なき子ねぇ・・・・・・ぴったりな言葉だと思うけど?」
「横浜に家があるだろ?」 住宅街に溶け込んだ豪邸紛いの大きさをしている住宅を思い出す。 「家がある奴を 『家なき子』 とは言わない」
「あの家は私の家じゃないもん」の表情が強張った。しかしそれも一瞬のことで、すぐにいつもの柔らかい笑みに変わった。
「あーあ、ちゃんと賃貸契約を交わしていれば良かった」と嘆いたは、話題を変えたがっているようだった。自宅のことは触れられたくないのだろう。


 数年前、黒崎はに会った。当時の彼女は、実兄が詐欺グループに喰われてこの世を去った上に、苗字も 「朱崎」 に変わったばかりだったみたいで、自己紹介も何処かぎこちなかった。もっとも、黒崎自身もシロサギを喰うこと以外に興味が無いのは当時も同じで、のことはあまり覚えていない。
 ただ、思い返せば今のような明るさは微塵も感じなかったはずだ。たった一人の家族を失えばショックを受けるのも当然で、彼女が自分の殻に閉じこもるのも道理だと思えたが、周りはそんな彼女を 「薄幸の美少女」 と煽てていた。確かに悲しそうな表情には他の人には無い神秘さすら感じたかもしれないが、薄幸の美少女は言いすぎではないか? 納得がいかなかった黒崎は当時、出会ったばかりのが気に喰わなかったに違いない。
 に抱いていたイメージが変わったのはあの時だな、と思い返す。いつも通りシロサギを喰らい、情報料を支払った後だ。はっきり覚えている。もう会うこともないだろうな、と思いながら踵を返したとき、腕をがっしり掴まれたのだ。怪訝そうに振り返った黒崎が見たのは、何とも言えない瞳だった。鋭く澄んだ、そんな瞳だ。あの時は本当に驚いたのは今でも覚えている。
「お金なんて要らない」 彼女は憮然と言い放った。 「私もシロサギを喰う手伝いをさせて」
 今ならきっぱりと断るはずだが、当時の黒崎は断らなかった。どうせ本気では無いだろうとか、桂木の荷物を作るのも悪くないだとか、そう言った甘えがあったのかもしれない。実際に彼女は数年経った今でも、桂木の荷物になるどころか、情報操作を任される存在にまで成り立ったのだから。


「あ、それじゃあさ」 隣で発せられる閃いた声を聴きながら、背もたれに体重をかける。
「クロちゃんの家に居候させてもらおうかな」
「はぁ!?」 思わず椅子から落ちそうになった。
「だって、楽しそうじゃん!うん、そうしよう」
「勝手に事を進めるなって」 呆れながら、親爺からも何か言ってくれよ、と続けた。
 しかし桂木は我関せずとばかりに、切った果物を皿に飾り始めた。無言の仕草は 「置いてやれ」 と言っているように思えた。
 もそう思ったようで、 「ほら、小父様もこう言ってるし」 と満面の笑みを向けて、立ち上がった。手にはいつの間にかスーツケースが握られている。
 反論しようと口を開いたが、やめた。無駄だと悟ったからだ。
 ポケットに手を入れ、飴を取り出す。が好きなチョコレート味だった。
 飴さえも「無駄な抵抗はよせ」と言っているような気がして、肩を落としてしまった。



「なにー?」
 飴を投げると、彼女は落とさないようにキャッチした。
 飴の味を見て、明るい笑みを浮かべながらこっちを見る。 「え、食べていいの?」
 わざと含み笑いを見せて、立ち上がった。






■ author's comment...
  えーと、主人公設定が変わったので一から物語作りをはじめました。
  といっても、あまり変わってないですよね?流れとかは多分一緒だと思います。
  ただ設定によって変わった場所や、過去の出来事を少し増やしてみました。ちょっとだけですね、本当に。
  書き方はギャング風味ですけど、私がこっちで慣れちゃったこともあるので・・・・・・(苦笑)
  これからどうしようかと考えています。まだ序章なのに! とりあえず氷柱と出会わせなくちゃいけませんね。
  詐欺らせる気は無いので、大幅にストーリーは変わりそうです。だって詐欺ネタ作り大変なんだもん・・・・・・。