■ 変化は人生の香辛料である


「あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし」 という言葉が脳裏に浮かんだ。確か福沢諭吉の言葉だ。人生は長いから、どんな事にも挑戦してみろ、と励まされた気分になる。
 寝室には様々なものが溢れかえっていた。書斎に収まらなくなった小説本が殆どだが、洋服もベッドの上に投げ捨てられている。整理整頓をしているはずなのに、何故こうも散らかってしまうのだろうか、とぼやいていたのも数分前のこと。は箪笥の奥から面白いものを見つけたのだ。
 長い人生と付き合うんだから、何でもするべきだよね。がほくそ笑んだ。ただ単調に過ぎるより、刺激を求める人生の方が生き甲斐があるよ、と次第に笑い声が高まる。
 見つけた服を着付けて、全身鏡を見た。背後から散らかった荷物が「片付けろよ」と訴えかけてくるような気がするが、それは敢えて放っておく。鏡を見ながら一回転をし、両手を広げてみる。なんだ、意外とまだ似合うではないか。
 前後背後と回りながら鏡を見ていると、ふと名案が浮かんだ。驚かすには十分面白い服装だ。思うや否や、外に出る準備をして、数十分も掛からないうちに玄関を飛び出していった。
 福沢諭吉の言葉が頭を過ぎる。今がまさに、捨て身になるときだ。


 紺色のプリーツスカートが膝上で踊った。白いブラウスの胸元で、紺色のスカーフが揺れていた。
 高校時代に毎日のように着ていた、あのセーラー服を身に纏って街を歩いている。なんて新鮮なんだろうか。今ならエッセイを書いて出版すら出来そうだ。なんせ、もう高校生でもないのに制服を着るなんて、にとっては初めてのことだった。高校を卒業すれば、もう用はないと思っていたが、着てみると意外と楽しい。まるで現役の女子高生に戻ったような気分がした。
 気分に任せるまま、髪を二つに結ってみた。ツインテールなんて在学中にもしたことが無かったのだが、今日は特別だ。足取りと共に、左右の髪束が顔に当たる。出来上がりも気分も、共に上々だ。また結ってみよう。
「響さんと祥子さん、どんな反応するかな」 ローファーの音を高らかに鳴らしながら、スキップをし始めた。このローファーと紺のソックスも、奥から探し出した代物だ。こうなったら現役の高校生よりも高校生らしく演じる気でいるようだ。 「成さんたちにも見せたいけど、居るかなぁ」
 空は黄昏時だが、まだ十分明るかった。久遠くらいなら居るかもしれないが、全員揃っているわけが無いことはにも十分解っていた。彼女たち連中は、集まりが良さそうで悪い。誰か集合をかける人が居ないと、偶然全員が揃うことはあまりないのと言っても過言ではないはずではないだろうか? それは言いすぎか、とは苦笑してしまった。
 空越しに前を見ていると、見覚えのある背中が映った。視線が前方に移る。無意識に歩く速度を上げた。近付くにつれて、疑問が確信に変わる。彼は友人と言うより、仲間と言える知り合いだ。
 隣に並び、横を見上げた。 「ねえお兄さん、私と喫茶店デートしません?」
 男がのほうを向いた。訝しそうな表情はすぐに固まり、唖然とした。足が止まり、も止まる。
か?」 暫くして、仰天の眼差しのまま訊ねられた。
「ピンポーン」 の声は至って陽気だ。 「やっほー、成さん」
 成瀬の反応は、まさに 「茫然自失」 という四字熟語がぴったりだった。状況が飲み込めないのか、一瞬硬直したみたいだ。反応は十分面白かった。成瀬の驚きようは、の想像の範囲を超えている。
 挑発するように、スカートの裾を持って広げた。 「どう? 高校生に見える?」
「見えるから驚いてるんだ」 成瀬が頭を抱える。意図が読めないのだろう。 「その格好は何だ」
「制服に決まってるじゃない」 成瀬の反応はあまりに面白く、腹を抱えて笑ってしまった。 「整理してたら出てきたの。懐かしいでしょ」
「俺の勘違いなら良いんだが、お前は去年、高校を卒業しなかったか?」 成瀬の視線はもはや呆れている。
「駄目? 制服なんてもう着れないんだから、今のうちに着てみようと思って」
「響野にからかわれるが目に浮かぶよ」
「違いないけどね」 わざと肯定して、自分で笑った。からかわれるのは想定内だが、その前に驚く姿が見たいがために向かっているのだ。 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」 という諺が脳裏に浮かぶ。この諺は、今ののためにあるのかもしれない。
 そういえば、と首を傾げた。 「成さん、こんな所で何してるの?」
「俺が街を歩いていると、不都合なことでもあるのか?」 成瀬の眉間に皺が入った。
 気分を害したかと思って、慌てて訂正する。 「違うってば! 仕事中かと思ったの」
 成瀬が表情を和らげた。 「いや、仕事はもう終わったんだ」
「え、そうなの?」 思いも寄らなかった答えに、聞き返してしまった。公務員はこんなに早く仕事を終えることが出来るのだろうか。 「そもそも、成さんって何時までが勤務時間なの? 全然知らないや、あたし」
「五時十五分までだ」 成瀬はに笑みを向ける。 「市役所という仕事は、意外とすることがない」
 それにしても中途半端だな、と笑ってしまった。 「じゃあ五時十五分になると、一斉に市役所から職員が居なくなるの?」
「そういうわけでもない」
「あ、やっぱり残業とかあるんだ」
「どんな仕事にも付き物だからな」 成瀬が両手を挙げるように肩をすくめた。 「今日、俺と講演を聴いていた同僚は、残業手当を貰えるようだ」
「成さんは貰えないの?」
「 『講演を聴いて仕事を終える人』 と 『講演を聴いてから仕事をする人』 じゃ、まるで違うだろ」 笑われてしまい、心なしか不服に思う。それをが知っているはずがなかった。
 それでも、偶然会っただけでもには喜ばしいことだった。
「この辺で講演会があったから、ついでに寄ってみようと思ったんだが、まさか高校生のに会うなんて思いも寄らなかった」
「それ、褒めてないでしょ」 成瀬を見上げようとして、気がついた。そういえば、黒のスーツを着ているではないか。手には鞄が握られている。成瀬が嘘をつかないことは百も承知だが、どうやら本当に仕事帰りみたいだ。
 がほくそ笑む。 「同僚って大久保さん? まだこの辺りに居るなら見せてこようかなー」
「気味の悪い目付きで見られたいなら、俺は止めないよ」 成瀬の笑みに意地の悪さが見えた。滅多に見せない表情に、苦笑しつつも内心で嬉々の声を上げる。
「ほら、さっさと行こう」
「大久保に会いにか?」
「響さんの喫茶店だってば」 さり気なく話を変えようとしたのに。
 成瀬が歩き出し、も後を付いていくように歩く。並んで歩くと、すれ違う人々が物珍しそうな視線を向けてくるのが分かった。服装によっては、 「教師と生徒が交際をしている」 なんて誤解を招いているのかもしれない。現に成瀬の服装は先生に見えなくも無かった。禁断の恋か。実際は市役所職員と翻訳家の間柄だが、たまにはそう言う風に見られるのも良い。
「あーあ、高校生のときに成さんと会っていれば良かった」
「俺の記憶が正しければ、会ったときはまだ高校生じゃなかったか?」
 が苦い顔をして立ち止まった。そうだ、初めて会ったときはまだ高校生だった。少し先を行った成瀬が、立ち止まってこっちを見ている。浮かべていた微笑は面白くもあり、優しいものだった。思わず頬が赤らんでしまう。やられた。 「意地悪。聞き流してよ」
 再び成瀬の隣に並んだ。それでも頬の熱は残ったままで、隣を盗み見るだけでますます赤らんだ。初めてのことだ。これが俗に言う 「恋」 というものなのだろうか。
 次の十字路を曲がれば、響野の店だ。もうすぐ着くことが分かった途端、何故か寂しくなる。もっと二人で居たいのに、と思うのに、上手く言葉には出せなかった。こんなとき、作家としての未熟さを感じる。
「響さん、居るかなぁ」 居るだろうとは思いながらも、呟いてしまった。
「からかわれるのが嫌なのか?」 成瀬はの気持ちを知ってか知らずか、薄ら笑みを浮かべた。 「今に始まったことじゃないだろ」 と続ける。
 そうじゃなくて、と否定したが、あとが続かない。自分が何を言いたいのか整理すら出来ていないのだから当たり前だった。仕方なく、俯いた。自分の着ている制服が目に映る。無意識に 「高校生に戻りたいなぁ」 と続けていた。あの頃のままなら、勢いだけあれば全て上手くいったのに。今ではも、他の大人たちのように、世間体や保証の無い不安で身動きが取れなくなっている。
 成瀬からの反応は無い。も何も発さず、十字路を曲がった。
 響野の店の前まで辿り着こうとしたとき、成瀬に呼ばれた。 「
 突き抜けるような低い声に、不覚にも一瞬、身体に痙攣が走った。声が裏返らないよう気をつけながら 「何?」 と返す。
「横浜ランドマークタワーに行ったことがあるか?」
「何、それ」 意識して損した、とばかりにの表情が怪訝で染まった。何か冗談でも言いたかったのかと思ったが、成瀬の表情は真剣そのものだった。どうやら冗談でもなさそうだが、なぜ急にそんなことを聞くのだろうか? 意図が読めない。
 とりあえず 「行ったこと無いけど」 と素直に答えてみた。すると、成瀬の表情が和らいだ。
「行ってみないか?」
「え?」 どうして、と訊ねようとしたが、咄嗟に腕を引っ張られた。店の前で停まろうとしていたは、そのまま成瀬に引っ張られながら、道なりに歩き続ける。 「ちょっと、成さん、響さんの店過ぎてるって」
「行きたくないんだろ?」 振り向いた成瀬の視線が、全てを見透かしているように見えた。
 引っ張られていた腕が自由になった。同時に、思わず目を見開く。先日、響野が言った 「成瀬は察しが良すぎるからな。もしかすると、あいつの洞察力はの透視能力を超えるんじゃないのか?」 という言葉が脳裏に過ぎった。 「成瀬の前じゃどんな感情も隠せないぞ」
「何処まで分かってるの?」 思わず口に出してしまった。我に返って口を押さえる。
 聞こえていたみたいだ。成瀬が不思議そうに首を傾げている。 「何をだ?」
「なんでもない」 と答えたが、案の定成瀬の前には通用しない。 「は俺に嘘が通じないことを忘れているようだな」 と嫌味めいた返答まで得てしまった。
 これはごまかしようが無いみたいだ。
 観念した、とばかりに肩をすくめる。 「ランドマークタワーで話すから、それまで整理させて」
 何を整理するのか訊ねてくるかと思ったが、成瀬は笑顔を見せただけだった。
 響野が言った通り、成瀬の前ではどんな感情も隠すことが出来ないみたいだ。
 成瀬の数歩後を付いて歩きながら、は再び福沢諭吉の言葉を思い出した。そして苦い顔を作る。長い人生だから何事にも挑戦するのは、いいことだと思う。だが、あまり突飛なことはしないほうが得策かもしれない。
「人生の香辛料は多少の変化でいいって、成さんは知ってた?」 さっき知ったばかりとは思えない口ぶりで、訊ねてみると、成瀬が揶揄するような笑い声を上げた。
「知らなかったのか?」 と返されるのも、時間の問題のようだ。









□ author's comment...

 一周年フリー夢でした。えーと・・・途中から何を書いてるのか、よくわかんなくなりました(苦笑)
 というか、私は何が書きたかったのだろうか・・・最後とか超曖昧です。
 成さん難しいなぁ。いや、ずっと書いてない私が悪いのでしょうね。勘鈍ってるわ。
 ・・・・・・というかお題とかみ合ってない!!!出来てから気付く私って・・・

 date.061223 Written by Lana Canna
 お題 【 年齢なんて関係ない  だから「子供だ」って言わないで 】