■ 恋愛は常に不意打ちの形をとる

 心地よい風が、赤茶色の髪を優しく撫でた。
 空は晴天だからか、街には横浜中の人が集まったのかと錯覚してしまうほどの人混みだ。は人混みに戸惑いながらも、駅前の待ち合わせ場所に立っていた。彼女にしては珍しく、成瀬と久遠よりも随分早く着いてしまったようだ。先ほど出版社がある東京から戻って来て、このあと二人と昼食を食べる約束をしていた。
「ちょっと早すぎたかも」 欠伸をしながら時計を見た。 「お腹すいたなぁ」
 ぼんやりと雑踏に目を向ける。が知っていそうな人は誰一人としていなかった。寧ろが突っ立っていることも人々にとっては関係ないみたいで、誰とも目が合わない。暇そうに、後ろの時計塔の鉄柱にもたれかかった。やっぱり待つのは好きじゃないや、と嘲笑した。待つ時間が勿体無い。
 大きく溜息をついたその時、誰かに肩を叩かれたような気がした。 「ねぇ彼女、これから僕とお茶しない?」 気取った声だ。聞き覚えがあったが、気のせいだろう。ナンパか、と面倒くさそうに振り向く。
「悪いけどそんな気分」 じゃないんだけど。振り向くと、途中から言葉を飲み込んだ。
「ナンパだと思ったでしょ」 久遠がけらけらと笑っている。
「思ったわよ。だってナンパの人が言いそうな言葉だったもん」 が苦笑交じりに言った。 「久遠さぁ、普通に出てきてよ。お願いだから」
「面白くないじゃん」 笑いを何とか抑え、久遠が続けた。 「ちゃん、面白いのが好きじゃないか」
「そうだけど」 反論したかったが、返す言葉がなかった。
 の反応が面白いのか、久遠の表情はにやけっ放しだ。 「ちゃんが僕と成瀬さんを待ってるなんて、見られない光景だね」
「久遠」 が顔をしかめた。 「これ以上からかうと、罰としてお茶買わせるわよ」
「じゃあ今から買ってこようかな」 久遠の笑みは変わらない。まるで冗談だと受け取っているみたいに思えた。の口が歪んだ。
「久遠、のど渇いたー。 『伊右衛門』 買って来て」
「え」 久遠が固まる。 「それ、冗談じゃないの?」
「冗談好きなんでしょ?」 今度はの表情がにやける。 「行って来てくれるよね」
 の言葉は有無を言わさなかった。相手はちゃんだった、と思う。はからかわれるのが、好きじゃない。だからこそ反応が面白くて可愛らしいのだが、やり過ぎは禁物だった、と久遠は今更ながら後悔してしまった。
ちゃんって怒ったら怖いよね」 久遠が肩をすくめた。 「分かった、買って来ますよ」
「行ってらっしゃーい 」 満面の笑みで見送ってやった。久遠が見えなくなると、は再び鉄柱にもたれかかる。あとは成瀬が来れば全員揃うのだが、肝心の成瀬はまだ姿を見せない。
「ひょっとして仕事が片付かないのかな」 なんだか申し訳なく思って、肩をすぼめた。もともと昼食を誘ったのはだ。忙しいのを承知で快諾してくれたはずだろう。成瀬がどんな仕事をしているのかは知らないが、市役所の係長と言うのは役柄上忙しいに違いない。
 久遠もの飲み物を買いに行っている。再び一人となってしまい、暇そうに溜息をついた。
 数分前と同じように、目の前を通り過ぎる人々をぼんやりと眺めていた。全員何か目的があって歩いているのかな、と思ったは、ふと肩が叩かれたことに気付いた。
「あの、すみません」 高い少年のような声が後ろから聴こえた。
 まさか、また久遠の仕業ね?
 さっきの出来事を思い出して、は知られないように含み笑いを隠した。
「久遠、 『伊右衛門』 買って」 来てくれた? 振り向くと、途中から言葉を飲み込んだ。
 の後ろに立っていたのは、久遠ではなく、見知らぬ少年だった。背丈はと同じくらいだが、黒い学ラン姿が似合っている。幼い顔立ちがぎこちなく、目を見開いていた。の言葉に驚いたのだろう。
「えっと、何?」 慌てて言うと、少年は戸惑ったように目を動かした。よく見ると、少し離れた場所から、同じ制服を着た少年が三人こっちを見ている。少年の友達だろうか。
 少年は恥ずかしそうに頬を赤らめ、絞り出したような声を出した。
「俺、森丘大知って言います。前々から見かけていて、好きになっちゃって」 恥じらっている少年を見て、は何故か、雪子の息子を思い出した。慎一と同じくらいの年頃だろうか。少年は躊躇いながらを見つめ、やがて決心したようにポケットから何かを取り出して前に差し出した。
「えっ?」 には何か分からなかったが、よく見るとそれが手紙だと分かった。
「これ、受け取ってください」
「ちょ、ちょっと」
 少年は言葉とは裏腹に、半ば強制的に手紙をの手中に収めさせた。戸惑うを置いて、少年は踵を返して同じ制服の三人のもとへ走り始めたが、ふと踵を返した。
「あの、名前は何て言うんですか」 少年の表情から、もう恥じらいは消えていた。
だけどっ」 反射的に答えてしまったが我に返った。
 返事はいいです、と言って逃げるように走って行った少年を呼び止めようとしたが、身体が思うように動かない。ただ呆然と少年が去っていった方向を見ていた。
「これ、どういうこと?」 自分に問いかけるように呟いた。 「告白、だったの?」
 手紙を視線に入れる。左手に握らされた手紙には、皺が沢山入っていた。それを伸ばしながら、封を開けてみた。自身、ちょっとした興味があったのかもしれない。
「ラブレター、よね」 誰に言うでもなく、呟いた。封筒の中に紙が一枚納まっている。告白なんて初めてされた、と心の中で呟く。
「うわー、ドキドキする」 慎重に紙を取り出して開く。少ない文章だが、少年が悪戦苦闘した様子が分かる。 『可愛いなと思っていました』 と書かれていて、は頬を赤らめた。 『ずっと好きでした』 と書かれていて、はにかんで下を向いた。 『付き合ってください』 と書かれていて、困惑の表情をした。の脳裏に、ふと、成瀬の姿が浮かんだ。思わず首を傾げる。 「なんで成さんが出てきたのかな」
「俺がどうかしたか」 頭上から声が聴こえた。
「えっ! な、成さん」 無意識に顔をあげたの頬が真っ赤に染まった。うっかり手紙を落としてしまった。どうしてみんな、驚かせるような登場をするんだろう、と頭を抱えたくなる。「いつからそこにいたの?」
が百面相をしながら手紙を読んでいたところからだな」 目の前に立っていた成瀬が、手紙を拾った。 「何を読んでいたんだ?」
「あっ」 しまった、と口を滑らしそうになる。成瀬にだけは見られたくなかった。手紙を取り返そうとするが、その手は空しく空振りしてしまった。 「ちょっと、返してよ」
 成瀬は、の声が聴こえなかったふりをして、手紙を広げた。目を見開いたのがにも分かった。の頬がこれ以上ないほど赤くなる。
「ラブレターを貰ったのか」 なるほど、と納得するように頷いた成瀬が、手紙を彼女に返してやった。「誰から貰ったんだ?」
「そ、それが」 言いづらそうに、が下を向いた。 「多分、中学生」
「あの子達か」
「え?」 顔を上げ、成瀬と同じ方向を見た。前方に学ラン姿の四人組が目に映った。建物の影に隠れてこちらの様子を窺っている。に手紙を渡した少年が心配そうな表情を浮かべていた。どうやら成瀬をナンパか何かと勘違いしているのか、の反応が気になっているのだろう。
 は何も言わずに頷き、そのまま視線は成瀬の足元へと下ろされた。絶対からかわれるか、笑われる。相手が成瀬ではなく響野だったら、間違いなくからかわれたはずだ。 「にはお似合いだな」なんて言い、一生のネタにされるに決まっている。もしくは久遠だったら、必ず笑われてしまうだろう。そして響野達に情報が渡り、全員でからかわれるはずだ。
 だが、予想に反して成瀬の反応は淡泊だった。からかいも笑いもせず、訊ねただけだ。 「返事はしたのか?」
「返事?」 は呆気に取られてしまった。十数秒かけて答える。 「ううん、してない。いらないって言われた」
 成瀬は何か思案をするように黙った。真剣な面影を見ながら、は首を捻った。からかっても来ないし、笑いもしない。それが逆に怖い。
「でもね、返事は決まってるんだよ」 成瀬の思案を不安に思い、言い訳するように言った。何故成瀬に言い訳したかったのかはよく分からなかったが、成瀬が見せた笑みに安心感を抱いたのは確かだった。
「成さん、笑わないの?」 と、訊ねると、成瀬が首を傾げた。
「何を笑うんだ?」
「だって中学生に告白されたなんて、響さんや久遠なら笑うはずだから」
「確かに笑うだろうな」 成瀬はその光景を思い浮かべたのか、微かに笑みを零した。 「は笑って欲しかったのか?」
「まさか!」 無意識に声を張り上げた。成瀬には笑って欲しくなかった。何故かは分からないけど、成さんには知られたくなかったなぁ。心の中で呟く。
 不意に思った。 「何故成瀬のことばかり考えているのだろう」 と。
 これって 『恋』 ?  そうか、あたしって成さんに恋をしているんだ。結論を出すと、ますます想いが強くなった。だが、思ったほど恥じらいは生まれない。頬を染めるどころか、納得して何度か頷いてしまった。相手が成瀬だからだろうか。
「俺は笑わないな」 成瀬の声で、我に返る。
「なんで?」
「笑うどころか、彼を羨ましく思うよ」 成瀬は自嘲の笑みを浮かべていた。 「告白というのは、歳を取るごとに出来なくなるものだからな」
「そうなの」 には、よく分からなかった。言葉に出したり手紙に綴ればそれが告白と言うものではないのだろうか。 「大人は照れるのが嫌だとか?」
「そうかもしれないな」 肯定するような言い方だ。
 さっきの言葉をいま一度思い出す。何かが、胸に引っかかった。 「ひょっとして成さん、好きな人がいるの?」
 成瀬の表情は、何時も読めない。だが、を見る視線はとても優しかった。
「どんな返事をするつもりだったんだ?」
 見つめ返しているうちに、微塵もなかった期待が徐々に膨らんでいった。自分の気持ちを隠しておくつもりだったが、ちょっとした好奇心が疼く。反応が良かったらいいな、と今までにない期待を込めながら、答えてやった。
「 『気持ちに嘘をついても、その嘘を暴く人がいるんです。その人が好きだって気付いた今、貴方とは付き合えません』 って返事をしたと思う」 敢えて、成瀬に微笑んだ。
 は、成瀬が驚いた表情を何度も見たことがある。だが、これほどまで一驚に喫する姿を見たのは初めてだと思った。成瀬は、それほど吃驚していた。
「ぴったりの諺があるんだけど、知りたい?」 わざと顎を引いて上目遣いをした。
 成瀬は何も言わず、頷いた。心底吃驚している姿がには可笑しく、そしていじらしくも感じる。
「 『恋愛は常に不意打ちの形をとる』 」 響野の演説口調を真似る。 「昔ね、響さんに教えてもらったの。 『だから常に用心しとけ』 ってね」
 成瀬はただ黙っていたが、やがて観念したように苦笑いを浮かべた。 「には敵わないな」
「そうでしょ」 は楽しそうに言った。 「で、成さん、好きな人って誰なの?」
 突然、時計塔から大きな鐘の音が響き渡った。針が丁度いい時間を指しているのだろう。音が大きく、道を歩く人々が時計塔のほうを見る。だが、と成瀬は動じることなく、お互いを見つめていた。
だと言ったら、どうする?」 鐘が鳴り止んだと同時に、成瀬が言った。
「大人は照れるから告白しないんじゃなかった?」 が優しく微笑む。
「大人気ないことは悪いことじゃない」
「うん、あたしもそう思う」
 温かい風が、また吹いた。今度はだけじゃなく、成瀬の髪も揺らした。
 たちはお互い視線を合わせたまま、微笑み合った。


 離れた場所から、久遠が二人の様子を見ていた。
 手にはに頼まれた緑のペットボトルが握られている。久遠は呆れた視線を向けていた。
「二人とも、僕の存在を忘れてるよね、あれ」 独り言を呟いた。 「酷いなぁ」
 だが、呆れた表情はすぐに笑みを作った。
「どうやら上手くいったみたいだね」 よかった、よかった、と何度も頷いた。
 久遠たち三人は、が成瀬に恋をしていることを知っていた。自分でも気付いていないの鈍感さが面白いほど呆れてしまったことを、よく憶えている。
「響野さんと雪子さんに、二人が上手くいったことをばらそうかな」 自分の存在が忘れられていることに対する復讐だろう。 「いや、邪魔者になったほうがいいか」
 久遠が歩き出したとき、中学生四人組とすれ違う。少年のうちの一人が落胆し、もう一人の少年が肩を持ってやっていた。

 爽やかな風が、先ほどから吹いている。
 人々は、たちの喜びと少年達の悲しみを知る由もなく、ただ黙々と目的地に向かって歩いていた。



□ author's comment...

 ・・・んー、温いなぁ。ってゆーか成さん?あのひと・・・(ぇ)
 難しいです、成さんは。感情が読めない分、苦労しますね。
 この話の彼は幾分読み取りやすくなってるけど・・・あはは・・・(技量不足)
 最後が温い!終わり方に悩むのは今に始まったことじゃありませんけど、温い!!
 「告白されたのは二番目だけど、成さんが一番好き」 というフレーズ、入れるの忘れてた!!
 ごめんよ !ちなみに、今回はWord5枚分。10ページ分かぁ、少ないなぁ。
 書く時間が膨大でした。3日か4日は確実に掛かってますからね。

 date.060720 Written by Lana Canna



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