■ 意外なことは常に起こるものである
公園のベンチから砂場を眺めていると、休日の実感がじわじわと湧いてきた。私服姿で出歩いている時点で休日という気がするが、こんな風にぼんやりと1つの風景を眺めることが久し振りだった。砂場でしゃがんでいる人影を見ながら、今なら、響野の煩い小言にも耐えられるだろうな、と成瀬は笑みを浮かべた。
ふと、子供のはしゃぐ声が聞こえて、視線を横の路地に向ける。気になったわけではなかったが、そこを偶然見知った顔が通りかかるなんて思っても見なかった。子供達が走り去った後、のんびりと歩く姿を見かけて驚く。だ。
声を掛けようか、と思ったが、何を言われるか分からないと思い直し、黙って見過ごすことにした。しかしそう簡単に通り過ぎるほどではなく、公園に目を向けると暫く立ち止まり、驚いた顔をして近づいてきた。ああ、気付かれたか。
「あれー、やっぱり成さんだ」 相変わらず、能天気な口調でやってきた。 「公園で会うなんて、珍しいね」と続けたの手には、複数の小さなビニール袋が握られている。そして服装はニットブラウスにミニスカートと、意外にラフなものだった。もしかすると、は何かを買うために外出したのかもしれない。 「なに、まさか仕事辞めさせられた?」
「縁起でもないことを言わないでくれよ」 と、苦笑してしまった。確かに、日中から公園のベンチに座って佇んでいれば、失業者のようにも見えるだろう。らしい冗談だな、と思ったが、よく考えればその冗談は響野に似ていた。何にでも感化しやすい性格は健在らしい。
「は何をしていたんだ?」
「あたしは買い物」ビニール袋を胸の辺りまで上げた。 「近所に駄菓子屋さんがあってね、 そこの常連さんだから」
駄菓子屋さんなんて珍しいでしょ? と満面の笑みを浮かべる。
「確かに今は見かけないな」 子供の頃は近所に駄菓子屋が二件あって、どちらに行こうか迷っていたのに、今はもう閉店し、駄菓子屋など忘れ去られた存在になっていた。
沢山買ったんだよ、と、ビニール袋の口を開いて見せてくれた。こまごまとした駄菓子が散乱している。
「仕事中に食べるんだー」
こんな風に、ほくほくとした笑顔を見るのは、銀行強盗以来見ていなかった。思わず笑ってしまったが、には気づかれていないみたいだ。
「で、成さんは何してるの?」 ようやく疑問が浮かんだのか、訊ねてきた。答えようとしたが、砂場から戻ってくる姿が見えて、口を閉じる。
「どちら様?」 彼女の声を聞いたは予想外とばかりに、驚いた表情を見せて振り返った。後姿でも分かる。は今、不思議そうに首を傾げている。
成瀬の方を向いて 「誰?」 と言いたげな表情を見せた。説明すると、ますます目を見開いて
「え、奥さん?」 と呟いた。 「正しくは、離婚した奥さんだ」 と付け加えて、ふと思い出す。そういえば、久遠にもこの台詞を吐いたような気がした。
「あら、わたしには説明してくれないの?」 彼女はの隣で笑いながら言った。説明しようとしたが、が先に口を開いた。 「です」 お辞儀をする様子は、彼女にしては丁寧だった。気を利かせようと思ったのか、駄菓子が詰まっている袋から飴を取り出して
「どうぞ」 と差し出している。気を使っている様子がどうにも珍しく、笑っていると、気付かれたらしく顔をしかめて睨まれたが、
「成さんにもあげる」 ともう1つ飴を取り出して差し出された。それを受け取る。
「奥さんがいるってことは、タダシくんも居るの?」
砂場に居るわよ、と来た道を指差し、も釣られるように振り返る。確かに、砂場にはタダシが居た。バケツに黙々と砂を入れては、それをひっくり返して遊んでいる。その光景を見ながら、がぼやくように呟いた。 「タダシくん、久遠とは面識があるくせに、あたしとは無いのよね」
「久遠くんとも知り合いなんだ」 妻があっけらかんと答えながら、ベンチに腰掛けた。すると、の表情が一瞬翳ったが、すぐに戻る。
その時、遊具で遊んでいた子供の一人がに近づいてきた。子供特有の好奇心に満ちた笑顔を浮かべて、 「お姉ちゃんだ」
とはしゃいだ声を上げる。 「お菓子ちょうだい!」
彼女はすぐに意地が悪い微笑を浮かべた。 「じゃあ問題です」
「うん」
「あたしの仕事は何でしょう」
問題を聞いた成瀬は呆れてしまった。この問題は当たるわけがないだろう。仮に彼女のことを知っていたとしても、
「翻訳家」 という単語を子供が知っているとも思えなかった。
案の定、子供は可愛らしい声で 「こんにゃく家」 と答えた。こんにゃくを作る仕事だろうか? 子供の発想力は微笑ましい。隣の妻も微笑んでいたが、今度はが呆れていた。
「だから、翻訳家だってば」 声の中に脱力感が入り混じっている。 「いつも、答えまで教えてるのに」
「当たってもくれないくせに」 子供が揶揄するように指を指した。駄菓子がもらえないことが始めから分かっていたみたいだ。
「今日は犬みたいなお兄ちゃんは居ないんだね」 と言い残して、去っていった。犬みたい、というのは久遠だろう。
子供が遊具に戻っていったのを見送りながら、はあ、と溜息をついてラムネを1つ食べる。
「子供と仲がいいのね」 と妻に言われ、何とも言えない苦笑いを浮かべた。それが成瀬には可笑しかった。
「二人はどういう関係なの?」 妻が不思議そうな表情で訊ねてきた。 「響野の店の常連客だ」とでも答えようかと思ったが、先にが答えた。
「付き合ってます」
もちろん嘘だ。寧ろ彼女は、成瀬が嘘を見破れることに気づいていて、わざとついたみたいだった。妻が驚いた声を上げたが、当のは面白がっているどころか、反応を窺っているように見えた。目が合ったが、すぐに逸らされる。
「というわけで、タダシくんと遊んできます!」 成瀬の視線が怖かったのか、逃げるように砂場へ走っていった。タダシの隣に座って、一緒に何かを作っている。後姿でよく分からなかったが、タダシはと仲良くしているように見えた。駄菓子をあげているのが見えて、思わず微笑む。そして、手に握った飴を見る。
「本当なの?」 妻が確認するように訊いてきた。嘘だったが、成瀬はすぐにそれを伝えなかった。
「嘘から出た実」 という言葉が脳裏に浮かぶ。何て答えようかと考える間もなく、気付けば
「そうだ」 と答えていた。
へえ、と妻が声を出した。面白いとばかりの表情を浮かべ、揶揄してきた。「やっとあなたにも、そういう人が出来たのね」
妻の言葉を受け流しながらも、成瀬は思った。 「最初は嘘でも、それを真実にすれば、結果的に嘘ではなくなる」
と。すると何故か、 「ずるいよ成瀬さん、それは屁理屈に過ぎないじゃないか」
と久遠の悔しがる声が聞こえたような気がした。悪いな、久遠、と心の中で謝る。
「君はどう思ったんだ?」 隣を向いて訊いてみた。
妻は一瞬きょとんとして、視線を砂場に向けた。視線を追ってみれば、砂場には大きな城が出来上がっていた。バケツをひっくり返して作ったみたいで、形はあまり城のようには見えなかったが、それでも満足気なタダシの横顔が見えた。隣で微笑むも楽しそうだ。
「いいんじゃない?」 タダシも懐いてるし、と頷いた。 「あなたって、可愛らしい子が好きなのね」
「自分でも驚いてるよ」 仕方なく、肩をすくめた。
別れた妻が、からもらった飴を食べた。入っていた袋を眺めながら、笑った。 「本当に可愛い子ね」
何も言わず、成瀬も飴を口に含んだ。瞬く間に、甘美な味が口の中に広がった。
□ author's comment...
えーと・・・短い?ええそうだ、短くて何が悪いんだー!(開き直った)
プロットの時点ではこんなに短くなるとは思わなかったんで、私自身驚きました。
でもまあいいかな。ほのぼのとした雰囲気が出せればそれで。
何となく久遠もを狙ってた様子。というかそうさせたのは他でもない私です、はい・・・。
成さん、あなたホントに成さん? タダシくん、存在だけでごめんね。奥さん、あなた難しいです。
以上、元成瀬一家への一言でした(笑)
date.071209 Written by Lana Canna