■ 時速5.8kmで雨が降り、自然の声が木霊する
公園に足を踏み入れた。微風がの髪を撫でる。
風を追うように振り向き、そのまま後ろ向きで歩いていった。風に触れた花が揺れる風景が見えた。後ろ歩きをしながらも、花を見ていると、誰かにぶつかる。
「あっ」 思わず声が出る。上を見上げると、品の良い無精ひげが映った。 「黒澤さんだ」
「なぜ後ろ歩きをしてるんだ?」 印象に残る声が降ってきた。振り返って、ぶつかった相手を見る。全身から
「余裕」 の雰囲気を醸し出している黒澤は、呆れた表情を隠そうともしていなかった。
再び、今度は顔だけ後ろを向ける。もう風は吹いておらず、花も太陽に向かって真っ直ぐ伸びていた。
「ちょっと自然の声に耳を傾けていたんです」
「らしいな」 呆れながらも苦笑されてしまった。 「で、なんて言っていたんだ?」
「風が、 『雨だよ』 って。それからあのコスモスが黒澤さんが近くに居ることも教えてくれましたよ」
黒澤が空を見上げる。同じようにも見上げた。
空はいつもと変わらず、青天日和だ。だが、肌に湿った空気が触れる。にはその空気も 「雨が降るよ」 と教える声が聴こえた。まるで天使が喋っているかのような透き通る声で、他の誰も聞き取ることが出来ないみたいだが、だけはその声が聴こえた。
「自然と話が出来る」 なんて言えば、友達や教師はみんな怪訝そうに顔を歪めるが、黒澤だけは違う。それは凄いな、と感心するような言葉を掛けてくれたのだ。あの言葉は一生忘れないだろう。
公園を横切る人々は 「青い空から雨が降る訳がない」 と思っているのだろう。傘を持っている人なんて何処にもいない。もちろん雨を凌ぐために小走りになっている人も見当たらなかった。
「ほら、降る」 空に向かって指を差した。同時に、頭上に水が落ちてきた。
ぽつぽつ、と青い空から雨が降り始めた。勢いが無く、優しさすら覚えるような小雨だ。
「まるで空の上から、神様が水を散らしているみたいですね」
「 『神様のレシピ』 か」
「え?」 どういう意味かを訊ねようとしたが、先に黒澤が 「いや、何でもない」
と答えた。そう言われると、訊ねようが無い。それでも、穏やかな黒澤の表情を見ていると
「まぁいいか」 と思ってしまう。
もう一度空を見上げた。思ったより濡れないものだ。雫が目に見えないほど、細かいのだろう。真っ青な空から降る雨は、矛盾を抱えながらも美しく思ってしまった。
「神様が水やりをしてるのかな」 言ってすぐに、高校生が言う台詞でもないな、と苦笑した。
笑われたか、と思いながら隣を見た。案の定、黒澤は笑っている。馬鹿にするような笑いではないが、それでもは恥ずかしくなり、顔を下に向けた。
「狐の嫁入りだな」 黒澤は、今度はにも聴こえるように呟いた。
聴こえたが、何のことだか良く解らない。 「狐の嫁入りって何ですか?」
「知らないのか」 信じられなさそうに、目を見開いた。 「今の子供は童話なんて読まないんだな」
顔をしかめる。子供扱いされたことが癪に障った。皮肉のつもりで、 「黒澤さんはあたしよりも長く生きていますから」
「俺はより年上だが、生き甲斐がない」
「 『美学』 が生き甲斐なんでしょう?」 わざと、からかうように言ってやった。黒澤の反応を横目で窺うが、ただ肩をすくめただけだった。外国人のように、手を上にやっている。
「大体、美学って何ですか」
黒澤が口に出しては馬鹿にしていた 『美学』 を、前に辞書で調べたことがあった。どうやら「美しさに関する独特の考え方や趣味」
の意味であることは解ったのだが、黒澤の存在を当てはめてみると、ぼやけてしまう。一番、美学という言葉が似合いそうに無い。
「横浜で起きた、映画館の爆破未遂事件を覚えているか?」
「覚えていますけど」 突然の質問に呆気に取られつつも、何とか話の腰を折らずに頷けた。あの事件は良く覚えている。犯人の迂闊な行動の数々に呆れたことが、昨日のことのように思い出せた。
「それがどうかしたんですか?」
「犯人は愚鈍だったが、あれも美学だとは考えられないか」
「そりゃ、爆破することを美しく思う人が、世の中にはいるかもしれませんね」
此処に几帳面な泥棒が居るように、と心の中で付け加える。
「それと同じだろ」 黒澤は通り過ぎていく人々を観察している。無意識なのかもしれない。
顔をしかめたの髪を、風が撫でた。 「黒澤さん、美学の定義くらい知ってます」
「、金輪際、俺の前で 『定義』 という言葉は使うなよ」 視線がの方に向く。
「わざと使ったんですよ」 黒澤に向けて、思いっきり舌を出した。 「ほら、黒澤さんが怒るから、雨が止んじゃったじゃないですか」
本当は風が教えてくれていたのだが、敢えて空を指した。
「狐の嫁入りだからな」
「そうだ、その 『狐の嫁入り』 って結局何だったんですか?」
「さて、俺はそろそろ行くかな」 の問い掛けには微塵も反応せず、時計を一瞥すると、脇を通り過ぎていった。あまりにさり気なかったため、反応が遅れてしまったが、すぐに振り返る。
「ちょっと、黒澤さんってば」 反応が無い。それどころか、距離が離れていく。わざとだ、と瞬時に理解した。
「もう、意地悪なんだから! こうなったら、黒澤さんの家に空き巣しに行ってやる」
「楽しみにしてるよ」 歩きながら、黒澤が振り向いた。挑発するような笑みを浮かべていた。
何か言い返してやろうと思ったが、その時、木々がざわめいた。風が吹いているわけでもないのに、葉が騒いでいる。に言葉を投げかけてくれているみたいだ。耳を貸すと、内容に驚いた。空を見上げる。いつの間にか、青天とは呼べないほど鉛色が掛かっていた。
走り出し、数メートル先の黒澤の隣に並んだ。そして、咄嗟に腕を掴んだかと思うと、本人の了承も無いまま、引っ張った。
「?」 名前を呼ばれても、返事をしない。やがて小走りになり、僅か三分ほどでアーケード通りまで戻ってきた。
屋根の下に入ると、は手を離す。同時に、ぽつぽつ、と雨粒が地面を濡らし始めた。雨粒の量はすぐに多くなり、一分もしない間に外は土砂降りだ。主婦や学生の焦った悲鳴が聴こえるのは、そう遠い出来事ではなかった。
「間に合いました」 溜息をついて、が呟いた。木々から 「強い雨がすぐに降る」 と教えてもらえてよかった。心の底から自然に感謝する。
隣に並ぶ黒澤は、それなりに驚いているみたいだ。勝ち誇った笑みを見せて、続けた。
「黒澤さん、濡れませんでしたね」
「のおかげだ」 彼女が自然と会話が出来るとはいえ、まさか何十歳も年下の高校生に出し抜かれるとは思わなかった、と言いたげに苦笑いを浮かべた。
「さっきの雨は、この土砂降りの予兆だったのか」
「多分そうでしょうね」 頷いたも、アーケード通りを見る。傘を持っていない学生が、鞄を頭の上に置いて走っている。地面も色を変え、学生が底を踏む度に水しぶきが飛んだ。
「そうだ、黒澤さん」
「何だ?」
「あたしに一つ借りを作ったんだから、一つお願いを聞いてください」
「聞くだけでいいのなら、何だって聞くさ」と答えた黒澤は、不敵に歯を見せた。
「あのね、今度空き巣に入るとき、あたしも連れて行ってください」 内心では駄目だろうと思っていたため、表情は優れない。
は黒澤の仕事にも理解があるというのに、いつまで経っても仕事風景を見せてくれないことが気になって仕方が無かった。
「一度は見たい」 という好奇心は誰にでも存在するはずだ。勿論、も例外ではない。いつもは頼んでも 「駄目だ」 の一押しだが、借りを利用すれば連れて行ってくれるかもしれない。と言っても、半分以上は駄目だろうと諦めてしまっているのだが。
予想通り、黒澤の返事は 「それは出来ないな」
「やっぱりですか」 半ば諦めていたとはいえ、実際に返事を聞くと、やるせない思いで一杯になる。あからさまに溜息をついてやった。せめてもの抵抗のつもりだ。
雨はどうにか安定したようで、小降りになっている。さっき降った雨よりは弱くないが、それでもたちと同じようにアーケード通りで雨宿りをしていた主婦が、走って帰ったほどだから、雨脚は強くないようだ。
他にも、傘を持った通行人が沢山見える。時間が経つに連れ、傘を持っている比率が増えていた。降り出してから家を出たのだろうか。それともコンビニか何処かで急遽購入したのかもしれない。
「」 と呼ばれ、黒澤の方を向いた。今日も何度か名前を呼ばれたが、一番声が穏やかだった。
「代わりと言っちゃなんだが、面白いことを教えるよ」 耳を貸せ、と手で合図した黒澤は、優しい表情を見せてくれていた。
「何ですか?」 黒澤の方へ耳を寄せた。距離が足りないのか、腕を引っ張られた。
にだけ聞き取れるような小さな声で囁いた。途端、彼女の頬が真っ赤に染まる。
「えっ、ちょっ、黒澤さん、今」
どもりながら発される言葉を聴きながら、黒澤は含み笑いをして、小雨が降る外を駆け出した。黒澤の後姿を見る。さっき囁かれた言葉が頭の中に響き渡り、遂には、恥ずかしそうにしゃがみ込んでしまった。
こんな顔じゃ帰れないじゃないですか。呟いた言葉は、無常にも黒澤の耳まで届かなかった。
□ author's comment...
恐れ多くも、捧げてしまった一品。
初書きなだけに、何か申し訳ない気持ちで一杯です。うわ〜恥ずかしい(苦笑)
えーと、こちらの舞台が仙台なので、別のヒロインに登場してもらいました。
自然や動物と会話が出来る、凄い高校生(笑)詳しい設定はまた作ります!
date.0609-- Written by Lana Canna