Passion
『妊娠4ヶ月目になると、ホルモンバランスの影響により性欲が激減します。』
マタニティ雑誌を読んだアリスは、苦悶の表情をしてため息を付いた。
銃器ラボに入ろうとしたアリスは、すれ違った男性を追うように見てしまった。
すぐ笑顔になって中に居るカリーを尋ねる。
「ねぇカリー」
「アリスじゃない。どうしたの?」
隣に座ったアリスのお腹に触れる ―― 妊娠4ヶ月目ともなると少し膨らんだのが解る。
彼女はうっとりした笑顔を浮かべ、ドアの方を指差した。
「さっきすれ違った人、格好良かった!ほら、長髪で丸縁眼鏡の・・・」
そこまで言って我に返る。
苦い表情は “冷静に考えれば格好良くなかった” と言っているようだ。
カリーが苦笑して訊いてみた。
「・・・今日のあなた、様子が可笑しいわよ?」
「そうなのよ!!」
後悔するように頭を抱え、自問するように叫んだ。
いつもの彼女らしい能天気さが無く、切羽詰っている雰囲気にカリーは思わず首を傾ける。
少しの時間を掛けてようやく話し出した。
「実は私、変なのよ」
「アリスが?」
「産婦人科によると、4ヶ月目になるとホルモンバランスが崩れて・・・」
「崩れて?」
「一時的に激減したり、逆に増加したりするらしいのよ・・・・・・性欲が」
アリスらしくない言葉を聞いてしまったカリーは、一瞬言葉を詰めて目を見開く。
目の前の彼女は、恥らうように目線を下げている。
「で、あなたはどっちだったの?」
「・・・増えてるの。どうしよう!」
予想外の答えにカリーは吃驚していたが、やがて笑い始めた。
その反応にアリスは頬を赤く染めて叫ぶ。
「な、なんで笑うの!?」
「何かアリスらしくないわね。可笑しくて」
「笑い事じゃないのよ!すれ違うたびに惚れちゃうんだから」
自嘲の笑みを浮かべている ―― 恐らくさっきの発言もホルモン故のことだったのだろう。
「どうしたらいいの?」
ほとほと困りきっている彼女に、カリーは笑いながらもアドバイスしてやった。
「チーフに相談した方がいいんじゃない?」
ホレイショの名前が出てきた途端、アリスの表情が暗くなる。
言いづらいのだろう。確かにこんな相談は女同士じゃないと出来ない。
しかし的確なアドバイスでもある。
「・・・相談したほうがいいかなぁ」
「言ってみるだけでも違うと思うけど?」
考えるように腕を組んだアリスを微笑んで見た後、彼女は再び仕事に取り掛かる。
顕微鏡を覗いたその時、ドアから聞き慣れた声がした。
「カリー、銃弾持ってきた」
同僚のスピードルだ。アリスを目に入れると意外そうな表情を向けた。
「アリスじゃん。分析終わった?」
終わったよ、と言って顔を上げたアリスは再び笑顔を見せた。
彼女の笑顔を見たカリーは瞬時に判断する ―― ホルモンに操られたわね。
「あらスピードル!今日もかっこいいわね」
うっとりするような笑みを浮かべる彼女を、スピードルは珍獣を見るような目つきで見た。
「ねぇ、彼女出来たの?」
「・・・アリスは?」
「私のことなんていいじゃない!あなたのことを聞かせて?」
明らかに色目を使っている彼女はホレイショの婚約者だ。
スピードルは戸惑うようにカリーを見た ―― 彼女は不適な笑みを浮かべている。
「・・・どうした?何か変だって。今日のアリス」
「そんなに私のことが知りたぁい?」
と、誘うような笑顔を見せていたアリスはハッと我に返る。
・・・今、スピードルに色目使ってた?
自分のしでかしたことをやっと理解できたのだろう、驚愕するように口を押さえた。
「ご、ごめんスピードル!!」
「別にいいけど、何かあったわけ?」
よりによって同僚にまで手を出しそうになるなんて。
信じられないと言いたげな表情をしたまま、彼女は逃げるように銃器ラボを後にした。
走り去ったアリスの後姿を追うように見たスピードルは、怪訝混じった声でカリーに尋ねた。
「・・・あいつ、変じゃなかった?」
「妊婦って大変みたいよ。でも意外な素顔を見ちゃったわ」
カリーは含み笑いをして、再び顕微鏡を覗いた。
CSIの通路を歩きながら、アリスは苦渋の表情を浮かべていた。
まさか同僚であるスピードルにまで欲情するとは、自分で自分が信じられないようだ。
「もうスピードルに顔合わせられない・・・」
落ち込んでいる間にも、アリスはすれ違う男性を見ては追うように振り返ってしまう。
それがタイプの人以外でも有り得るから、厄介なのだ。
チーフが知ったら怒るよね。それ以前に絶対欲情しちゃうよ ―― 彼女は深くため息を吐きながらDNAラボに向かった。
途中アレックスとすれ違う。
「あら、アリスじゃない」
アレックスは優しい笑顔を見せて彼女のお腹に触れる。
「順調みたいね」
「そうでもないよ」
疲れきった笑顔を向けると、アレックスは苦笑いを浮かべた。
「そういえば、ホレイショが探してたわよ」
「えっ、何で?」
「血痕のDNA分析が終わったかどうか知りたいんですって」
「あ・・・そうだった」
数時間前に頼まれた分析はとっくの昔に終わっている。
渡しに行かなくてはならない ―― アリスは顔をしかめてアレックスに訊いた。
「チーフが何処に居たか知らない?」
「多分オフィスじゃないかしら・・・どうしたの、喧嘩でもした?」
「何で?」
「だって、 “逢いたくない” って顔してるもの」
アレックスは小さく笑う。対してアリスは苦笑した。
「喧嘩じゃないけど、ちょっと逢いたくないの」
「どうして?ホレイショならどんなことでも受け止めてくれると思うわよ」
アリスの頭を撫でたアレックスは、優しい笑顔を向けて角を曲がった ―― 死体保管所へ向かったのだろう。
残されたアリスは、複雑な表情を浮かべていた。
とにかく、探していたのなら逢わなくてはならない。
だが逢えば必ず欲情してしまうだろう ―― 相手はあのホレイショなのだから。
DNAラボに寄って、分析結果を持つ。オフィスは此処からすぐだ。
・・・どうしよう。
困惑するアリスの脳裏に、アレックスの言葉が木霊する。
“ホレイショならどんなことでも受け止めてくれると思うわよ”
階段の先に見えるオフィスに目を向ける。
「・・・相談してみようかな」
結局カリーのアドバイス通りになってしまった。
自分に対して苦笑し、DNAラボを出た。
階段を上り、見慣れたオフィスのドアをノックする。
頭の中で “理性を保って” と言い聞かせながら、返事を待つ ―― が、何時まで待っても返事は無い。
ノブを回してみると、いとも簡単に開いた。
「チーフ?」
控えめな声で呼んでみたが、やはり返事は無い。
しかし電気は点いているから無人ではないはずだろう。
静かにドアを閉め、部屋の中を見回した ―― ソファに足が見える。
そっと回り込んでソファを見下ろす。
目を閉じているホレイショは、どうやら仮眠を取っているようだった。
蛍光灯を点けたまま寝ている。眩しくないのかな?
寝顔を見つめながら、ふと微笑んだ。
だが、やっぱりホルモンに操られてしまう ―― 段々と “その気” になってきた。
そっと彼の胸に触れようとしたその時、ホレイショが少しずつ目を開く。
人の気配に気付いたのだろう。彼は眠そうな瞳をアリスに向け、微笑んだ。
「・・・アリスか。どうした?」
「えっ!?あ、えっと、そうだ結果!分析結果を持ってきたんです!」
いきなり起きるとは思わなかったアリスは、すぐに手を後ろに回してもう片方の手で分析結果を見せた。
挙動不審な言葉を話す彼女に、ホレイショは不思議そうな表情をしたが、結果を受け取る。
それを読む彼を見ながらアリスは心の中で叫んだ ―― 危うく寝てるチーフを襲っちゃうところだった!
肝心のホレイショは、ソファに転んだまま結果を見ている。
アリスは暫く彼を見つめていたが、やがて陶然の表情を浮かべて口走ってしまった。
「・・・チーフってスーツ似合いますね」
ホレイショは驚いたように目を見開いて、アリスを見た。
彼女ははにかんで頬を赤らめたが、はたと我に返って苦い表情をした。
しまった、またやった ―― アリスの顔はそう言っている。
「アリス」
「・・・はい」
「どうした?今日は変じゃないか」
上半身を起き上がらせ、彼は心配するように優しい声を掛けてくれた。
空いたスペースにアリスは座り、正直に話し始めた ―― 声はとても暗い。
「実は4ヶ月目に入って・・・ホルモンが悪さしちゃうんです」
「悪さ、とは?」
アリスは暫く黙る。
ホレイショは彼女が口を開くのを待っててくれるように、優しい視線を向け続けていた。
少しの沈黙の後、彼女は身体の向きを変えてホレイショを押し倒した。
ソファの革が擦れる音がオフィスに響く。
アリスはソファの上に乗った彼の腰に跨った ―― ロングスカートで見えないが。
突然のことで彼は吃驚した表情を露にし、彼女を見上げる。
「アリス?」
彼女は真剣な表情を浮かべて囁いた。
「欲情しちゃうんです ―― ホルモンのせいで」
彼女の答えを聞いた彼は、何も言わずに見上げる。
やがていつも見せる不敵な笑みを見せ、呟いた。
「積極的だな」
「珍しいでしょ?」
「あぁ ―― それもいい」
見下ろすアリスの髪を掻き揚げる。
彼女は身体を曲げて彼の唇にそれを合わせた。
熱く激しいキスをしたあと、ホレイショは自分の胸に置かれた彼女の手を掴み、引っ張った。
アリスの視界は反転し、ドサッとソファに仰向けで倒れこんだ。
頬を赤く染め、恍惚とした表情をしたアリスに、微笑む。
「さぁ、何処から触れられたい?」