Be Silent
静かにしなくちゃ。
だってまさか眠ってるなんて思わなかったから。
超過勤務時は一段と忙しい。
は表情からしてそう言っていた。
手には文明の進化とも言えるカップヌードルを握り、これから数時間遅れの昼食を取ろうとしている。
食事を取るところは決まって休憩室。
彼女はそこで“食事をしながらテレビを見る”という至福の時を過ごす予定だった。
しかし意外な人物が先に居たため、彼女の計画は崩壊してしまうのだが。
「・・・あれ?」
薄暗い休憩室のテーブルに、誰かがうつ伏せている。
には何となく解った――ホレイショだ。
身動ぎもせずうつ伏せている。どうやら、眠っているみたいだ。
チーフがこんな所で居眠りなんて、珍しいなぁ。
声に出さず、口だけを動かして言った。
自分のオフィスで寝ればいいものの、どうしてこんな場所で寝ているのだろうか?
とりあえず自分の計画は丸潰れた。ははぁ、と小さくため息をつく。
「・・・どうしよう」
やっと仕事に区切りがついた今、食事を少しでも摂っておかなければならない。
しかし転寝をしているホレイショを起こしてしまうのも気が引ける。
「音を立てなければいいのよね」
ボソッと呟き、ポットへと向かう。
極力音を立てずに歩き、そっとカップヌードルにお湯を注ぐ。
ポットのお湯を調整しながらゆっくり注ぐのなんて、には初めてのことだった。
しかし眠りの邪魔は絶対にしたくない。
音を立てずにテーブルを通り過ぎ、大きなテレビの前を陣取るソファに座った。
座る際、革の擦れる音がしたのだがそれはしょうがない。
ゆっくり静止しながら座り込んで、テレビとは反対の方向を向く。
身動ぎしていない。
それほど疲れていたのだろう、ホレイショは起きあがらなかった。
チーフって全ての捜査を指揮してるもんね。
私以上に超過勤務だもん、ちょっとは休ませてあげなくちゃ。
ソファの背もたれにカップヌードルを置いて、は音を立てずに麺をすすった。
無音の中、麺をすする控えめな音が響く。
どうしよう、なんか今すごく虚しい。ラボで食べた方が良かったような気がしてきた。
そう思ったが思い留まる。
何が悲しくて顕微鏡とにらめっこして食事をしなくちゃいけないのだろう。
まだこっちの方がいいや、とは声を上げずに笑った。
「・・・ご馳走様でした」
声にならないほどの声で呟く。
カップヌードルを食べ終わり、時計を見上げてみた。
の休憩時間はまだまだある。
勤務漬けの中の休みなのだから、ゆっくり取りたいと思っていたからだ。
しかしテレビはつけられない上に音を立ててはならない。
これはこれで集中力を使う。
は再び小さくため息をついた。
そっと立ち上がる。革の音が再び鳴った。
革の音に気をとられ、彼女は途中からゆっくり立ち上がったため、ぐらりと体が揺れる。
「ぅわっ」
小さな悲鳴を上げて足を出す。
カッ、と女性らしいヒールの音が響いた。おかげで転ばずに済んだ。
「やばっ」
靴の音で起きたのではないか、とは咄嗟にテーブルの方を睨み見る。
と、言っても睨みたかったわけではなく、ただ単に力んで見てしまっただけなのだが。
しかしホレイショはまだ顔を上げていない。
眠ってる――・・・は安堵の表情をして今度は深いため息をつく。
「あ、危なかった」
彼女は両手を腰に当てて暫く立ったまま休憩の姿勢をとる。
・・・ふと、両手を目の高さまで挙げた。
ん?さっきまで持ってたカップヌードルは何処へ行ったの?
無意識のうちにきょろきょろと辺りを見回し、最悪の事態に気付く。
「・・・あ゛」
革のソファにびっしょりとかかっているスープ、そして、ソファの端に転がる容器。
転びかけたときに手を離してしまったのだ。
「・・・嘘でしょ」
血の気が引き、蒼白な表情になっては呟く。
まず音を立てずにふき取らなくてはならない。
またしてもため息をつき、は近くにあったタオルでスープを拭き取った。
ゆっくり歩き、容器をゴミ箱に入れて消臭スプレーを取る。
その際カタッと物音がしたが、小さかったようなのでは再びソファへ戻る。
カッカッと小さいながらもヒールの音がする。
その音すら煩いと感じたのか、途中でゆっくり靴を脱いで裸足で歩くあたり、意地でも起こしたくないらしい。
ソファに消臭スプレーをかけた。これでなんとか誤魔化せただろう。
「ふぅ・・・」
思わず冷や汗が出てしまっている。
袖で拭い、この後どうしようか再び考えることにした。
とりあえず熱いコーヒーが飲みたい・・・しかし音を立てずにゲットできるのだろうか。
机に近い場所にあるコーヒーメーカーは絶えずぐつぐつ煮えたぎらせている。
ホレイショのほうを見ながら、再び足を動かした。
ペタッ、ペタッ、と裸足でも足音が鳴る。
しかし足を切り取ることは出来ない、は極力足を上げないようにしてスローモーションで歩いていった。
“歩いては止まる” の繰り返しで、やっとコーヒーメーカーの前までやってきた。
ガラス製のポットをゆっくり持ち上げる。
ガタッと音がしてしまったが止むを得ないだろう。
ヒヤヒヤしながら今度は右手でカップを持つ。
そーっとポットを傾けて漆黒のコーヒーを注ぐ。
注いでしまえばこっちのものよね。彼女は無意識に笑顔を作る。
確かにカップを手に入れれば、後は休憩室を出てラボで飲めばいい。
・・・本当は飲食禁止だけど、この際仕方が無いと言ってもいいだろう。
なんて考え事をしていたからだろうか。
いつの間にかカップが傾いていたらしく、コーヒーが零れ落ちてしまった。
靴を履いていれば足の上に落ちても平気だが、今彼女は裸足だ。
煮えたぎっていたコーヒーが触れた途端、飛び上がってしまった。
「熱っ!!!」
盛大な声を上げて右足を思いっきり引いた。
こういうトラブルがあると、必ず彼女特有のドジが生じてしまう。
案の定ポットが手から滑り落ちた。
高く小さな悲鳴と共に、ガラスが割れる音が休憩室に響き渡る。
それは今まで休憩内で聴こえたどんな音よりも大きく、彼女の悲鳴すらも大きかった。
「・・・・・・・・・・」
どうしよう、大きな音を立てちゃった。
てゆーかガラスが足に刺さって痛い。もう一つ言えばコーヒーが両足にかかって熱い。
だけど騒音の方がもっとやばい。
一瞬でこれだけ考えたは、もう机の方に振り向けない。
熱く痛い両足は赤くなっていて血が流れ始めた。
しかし騒音の方が問題だったは水をかける以前に硬直していた。
「・・・?」
後方から声が聴こえる。
完璧にホレイショは起きている。彼女の顔が真っ青になった。
椅子を引く音が聴こえ、コツコツと靴音が近づいていた。
彼女は恐る恐る振り向く。
足を動かすたびに激痛が襲うが、声も出せない。
数歩向こうに立っていたのはホレイショだ。
いつも以上に細目な彼は少しばかり眠そうな表情をしている。
しかし近くの惨状を見た途端、目を見開いて駆け寄った。
「何があった!?」
真剣な顔つきをしたホレイショは申し訳なさそうに目を伏せているの足を見て、
すぐ大きな器をキッチンから取り出して水を注ぎ、椅子の前に置いて彼女を座らせた。
何も言わず、いや言えず彼女は従って水の中に足を入れる。
「いっ・・・」
は短い悲鳴をあげ、顔をしかめる。
しかしホレイショは彼女の足を洗い、ガラス片を取り除いていった。
もう片方の足も水に浸けられたとき、沈黙に堪りかねて、は口を開いた。
「・・・ごめんなさい」
「また買えばいい」
「・・・ポットじゃなくて、安眠を妨害したから」
呟くように小さく言った言葉が聞こえたのか、ホレイショが見上げた。
不思議そうな表情を露にしている。
「静かにしてくれていたのか」
「でも・・・ポット落としちゃったし」
「気にするな。俺こそこんな所で転寝したんだ」
両足を洗い終え、にタオルを渡してホレイショは救急箱を取りに行った。
彼が背を向けている間に涙を拭い、両足を拭いた。血でタオルが赤く滲む。
そして再びホレイショが戻ってきて、再び手当てを始めた。
包帯を巻いていく手を見たまま、が問いかける。
「・・・どうして此処で寝てたんですか?」
「気付いたら眠ってたんだ」
「でもオフィスで寝れば飛び起きることもなかったんですよ」
ずっ、と鼻を小さくすする。泣いているのが丸わかりだ。
左足を巻き終えたホレイショは膝立ちになってを見た。
「・・・どうしてかな」
「え?」
「君と話がしたかった、じゃ理由にならないか?」
ぽろぽろと溢れる涙を掬う。
そんな彼をはただ驚いて見つめていた。
ふと視線を外し、今度は右足に包帯を巻き始める。
しかし彼女はホレイショの方を向いたままだった。
両足を巻き終え、靴を履いて立ち上がる。
ズキズキと響くような痛みがするが、彼女は気にならなかった。
「チーフ」
「何だ」
「私に逢いたかったから此処に居たんですか?」
背を向けてポットの片付けをしていたホレイショは、何も答えなかった。
は無言で彼の背中を見つめる。
何でかな、すごく抱き締めたい。
一歩一歩進み、しゃがみこんで後ろから抱き締めた。
すると、ホレイショは顔だけこっちを向ける。
不思議そうな表情をしていた。
「?どうした・・・」
遮るようには呟く。
“ Be Silent ”