Nightmare
夜も深まっている。
ホレイショはオフィスで一人書類にサインを書いていた。
これも仕事のうちだ。
デスクワークはホレイショにとって好きじゃない仕事である。科学捜査課の主任は大変だ。
ため息を付いてペンを走らせるホレイショは、電話が鳴っていることに気付いた。
すぐに取り出して耳に当てる ―― 一番愛しいの声が聴こえた。
「ホレイショだ」
『・・・こんばんわ、チーフ!』
「どうした?」
時計を見る。こんな時間にどうしたのだろう。
妙に明るい声が電話越しに聴こえてきた。
『ちょっと声が聴きたかったんです』
「声が?」
思わず怪訝な顔をした。
いつも以上に明るい ―― 何故だか別の声が聴こえた気がした。
『それだけなんですけど』
「・・・これから何する予定だ?」
『もう一回寝る予定です。実は起きちゃったんですよ』
元気な声だが、やはり彼女が“助けて”と言っているような気がした。
「そうか」
『はい!おやすみなさい』
「お休み」
すぐに切れた電話を、暫く見つめてしまう。
―― 気のせいか?
実際に助けてという声は聴こえなかった。しかし一言一言がそう叫んでいるような気がしてならない。
ホレイショとは “上司” と “部下” の関係を超えた仲だ。
だからこそ彼女の明るすぎる声が気になるというのも事実。
再び走らせていたペンを止め、ホレイショは立ち上がって上着を羽織った。
勘違いなら、それでいい。
そう思いながら乗り慣れたSUVで飛ばし、ものの5分での家に到着した。
車から降りてドアに向かう。
ノブを回すと、いとも簡単に開いた。鍵がかかっていると思ったホレイショは面食らってしまった。
「・・・」
彼女の名前を呼びながら中へ入る。
もう眠りについたのか、家の中は真っ暗だ。
勘に頼って通路を突っ切る ―― ソファやテレビが置いてある。恐らくリビングに着いたのだろう。
ホレイショはリビングの電気を付ける。
急に明るくなって思わず目を抑えてしまった。
暫く経ち、目が慣れたところで奥の寝室 ―ドアが開いていて、その先は再び闇だ― に目を向ける。
近づいてみると、何か聴こえる。
耳を澄ましながらドア口までやってきた。
リビングの光が寝室まで入っていて、室内は薄暗い。
彼女は中央の大きなベッドで泣いていた。
上半身を起き上がらせて、小さな嗚咽が響く。
その姿は小さく見え、とても脆く感じられた。
いつものは明るく元気なムードメーカーだが、彼女は意外と脆いことをホレイショはよく知っていた。
そっと近寄り、優しい声をあげる。
「」
呼ばれた彼女が顔を上げる。
泣き濡らした目を見開き、小さく呼び返した。
「・・・チーフ?」
何で此処に?と言いたそうな彼女をベッドまで近づいて抱き締める。
「助けを求めていただろう」
あまりにも優しい声が聴こえる。
その言葉を聴いたは、再び堰を切ったように泣き始めた。
「っく・・・うっ・・・・・・お父さん・・・お母さぁん・・・」
ホレイショの胸で、彼女は何度も両親を呼んだ。
その姿がとても弱く感じられて ―― そして愛おしくも感じられる。
泣いている理由は訊かなくても解っていた。
両親の夢を見たのだろう。
ホレイショは、の両親が何故亡くなったのか、どうして彼女が夢を見ては泣くのか、その理由は知らない。
がCSIに来たばかりの時、家族構成を聞いたことがあった。
彼女が返した言葉を今でも覚えている。
『姉はベガスのCSIに所属してます。両親は・・・亡くなりました、8年前』
その時見せた、悲しそうな笑顔も焼きついていた。
誰しも辛い過去を掘り下げたくない。
それはホレイショも同じ気持ちだった。
だから彼はそれ以来彼女の過去 ―特に両親のこと― を詮索することを止めた。
8年前に亡くなった両親を、彼女は未だに引き摺っている。
そして夢を見るたびに飛び起きて泣いている彼女を、この日以外にも何度か目撃した。
彼女が独りきりで泣くことだけはどうしてもさせたくない。
いつもと違って弱いを支えるように、強く抱き締めて言った。
「頼むから」
「・・・え?」
「約束してくれ ―― もう独りで泣かないと」
ホレイショはの顔を見る。
涙で頬を濡らしている大切な女性を。
「君は独りじゃないんだ ―― なぁ、俺を頼ってくれ」
いいな、と最後は命令口調で呟く。
彼女は泣くのもやめて、ただホレイショを見つめていた。
そっと頬を撫で、涙を拭いてやる。
やがて、腕の中の彼女はいつも見せる優しい笑顔を見せてくれた ―― 夕方、CSIで別れた時以来の笑顔だ。
ホレイショの首に細い腕を絡め、赤い目を柔らかく細める。
「・・・そっか、私・・・独りじゃないんだ」
小さくて闇に消えてしまいそうな声だったが、彼の耳には確かに聴こえていた。
薄暗い部屋の中で、2人はお互いを強く抱き締め合った。
はベッドに横たわり、ホレイショは隣で彼女の右手を握る。
しかし彼女の表情は不安に満ちている。
悪夢に魘されたくないのだろう、チラッと隣を見て呟いた。
「チーフ・・・」
「何だ?」
「寝入るまで・・・いてくれますか?」
また怖い夢を見たら、抱き締めてくれますか?
言いはしないが、彼女の表情はそう尋ねていた。
ホレイショは目を細めて笑う。
「いつまでもいてやるさ」
答えを聞いた彼女は、安心した表情で目を閉じた。
小さな寝息が聴こえるのはそう遠い話じゃないだろう。
怖い夢からすぐに目覚められるように。
右手は、ずっと離れず繋がっていた。