Hurricane Beryl
 それはハリケーン・ベリルの影響だった。
 去年から強力なものが来ていたフロリダは、再びハリケーンに襲われた。
 マイアミも例外ではなく、事件は唐突に訪れた。





「凄い!何なのよこれ〜」
 は天候に向かって叫びながら出勤した。
 ハリケーンの威力は去年と相応しているようで、住宅の木々はほぼ斜めに傾くほどの風が吹いていた。
 飛ばされないように注意していると傘が使い物にならなくなり、結局彼女はびしょ濡れで出勤した。
 マイアミ・デイド署にはあまり人が居なかった。
 誰だってこんな天候じゃ外に出るのもままならないだろう。
 暴風が吹き荒み、バケツをひっくり返したような豪雨も降っていた。
 実際も休んでよかったのだが ―― 彼女はハリケーン慣れしていない。
 家で心細く過ごすより職場に居た方がいいと思ったのだろう。
 そのおかげで髪から水が滴るほどの水を浴びたが。

 中に入ると縁にタオルが置いてあった。署からの気遣いだろうか、は遠慮なく使うことにした。
「・・・ちょっと、この人数どうしたわけ?」
 髪を拭きながら辺りを見回す ―― いつも賑わっているロビーには数人ほどしか居なかった。
 しかしその中に見知った人物を見つけた途端、彼女の表情が明るくなる。
「チーフ!」
 大声で呼ぶと全員が振り返った。
 だが構わず彼女は駆け出して隣に並ぶ。
!?」
 ホレイショは隣に並んだを見て驚きで隠せない表情を露にした。
「何故出勤したんだ!?」
「家にいても心細いんですもん」
 やっと見つけた知り合いに、彼女の表情は安心感でいっぱいだ。
「こんな天気の中歩いてきたのか」
 信じられないとばかりに目を見開いている。
 はそんな彼を見て微笑んだ。
「大変でしたけど意外と楽しかったですよ」
 初めての体験だし、と付け加えた。
 去年、フロリダはとてつもない勢力を持ったハリケーンに襲われた。
 その時は幸いにも休暇を取っていて、姉が住むラスベガスに行っていたのだ。
 だから実質的に体験したのは今回は初めてだったのだ。
 暴風雨の中を歩く体験もしたことが無かったため、彼女にとってまさに初体験と言える。
 彼女の笑顔を見ていたホレイショは真剣な表情になった。
「いいか、二度とこんな天気の中出歩くな」
「えー?」
「車が飛んで来たらどうする」
「車が?」
 あんな重いものも飛んだりするのか・・・は自分が思いがけず臨死体験していたことをやっと悟った。
 しかし未だ笑顔だ。
「でも無事署に着いたんだからいいじゃないですか」
「・・・それもそうだ」
 無事でよかった、と微笑んでくれた。
 この日初めてホレイショの笑顔を見たは、やっぱりこっちに来て良かったと思うのだった。

 全身びしょ濡れのを見てホレイショは言う。
「とりあえずCSIに行くぞ。シャワーを浴びないと風邪を引く」
「はーい」
 縁にあったタオルをもう一枚拝借し、彼女はホレイショの後に続いてエレベータ前に立った。
 外の音が中まで響いている。
 雨がドアに当たる音や風が吹き荒れる音 ―― エレベータ前に立つ彼女は全て聴こえていた。
「それにしても、雨風が凄い」
「あぁ・・・去年を思い出す」
「去年も凄まじかったみたいじゃないですか」
 は微笑んで言った。
 散々聞かされていたのだ ―― “署のロビーが浸水した”という情報が一番多かった。
 今年もなったら面白いのに、と思ったが浸水後に困るのは自分だと気付き、すぐに考え直す。



 やがて、1階に着いたと知らせるチャイムが響いた。
 ホレイショとが乗り込む。
 いつもなら他にも何人か乗るのだが、今日は人数も少ないので2人だけだった。
 扉は閉められ、CSIが陣取っている階へ運ばれる。
 電灯は爛々と2人を照らす。は背面についていた鏡を見ながら髪を拭いていた。
「誰かいるかなぁ」
「誰も居ないよ」
「職員が仕事嫌いみたいに聴こえますよ」
 笑いながらそう言い、タオルを脇に挟んで鞄からブラシを取り出して梳き始める。
 ホレイショは壁にもたれてそんな彼女を見ていた。
「好きか?仕事」
「科学ほど私の興味をくすぐる物は無いですよ」
「俺も同感だ」
 外は暴風雨だというのに、エレベータの中は平和だった。
 待っている時みたいに音は聴こえない ―― しかし平和はあっという間にハリケーンに奪われることになる。



 異変は突如訪れた。
 静かに上へ上昇していたエレベータが、急にガクンッと激しく揺れた。
「きゃあぁっ!?」
 下へ感じる重力を感じながらの体が大きく傾く。
!」
 ホレイショは彼女の身体を咄嗟に支え、しゃがみ込ませた。
 今まで元気に照らしていた電灯は気力を失うように消え、端のちんまりと付いていたサブライトが点灯した。
 エレベータが動く音は先ほどまで微かに聴こえていたはずなのに、全く聴こえない。
 2人はしゃがみ込んだまま、呆然としていた。

「大丈夫か?」
 とりあえずホレイショはまず彼女の身を案じた。
 は頷き、唖然とした表情を露にしたまま呟いた。
「・・・これ、どういうことです?」
「ハリケーンだ。停電したんだろう」
「でもサブライトは付いてますよ」
 不思議そうにエレベータの角を見る。爛々とではないが、仄暗い明かりを提供してくれていた。
 ホレイショは立ち上がり、非常連絡ボタンを押して答える。
「非常電源だ」
「じゃあエレベータも動きますか?」
「それは無理だな」
 非常連絡ボタンに向かって話しかける。
 しかしホレイショの答えにがっかりしていたは詳しい話を聞いていなかった。
「はぁぁっ!!ラボの冷蔵庫も止まってる!?サンプルが・・・」
 両手を床に着き、酷くショックを受けている彼女に、非常連絡ボタンから離れたホレイショが追い討ちをかける。
「2時間ほど待てば復旧されるそうだ」
「えっ!?2時間もですか!?」
「ハリケーン・ベリルを恨むんだな」
 ホレイショは彼女の隣に座って笑う。
 その表情を見て、ふと疑問に思ってしまった。

「何で笑うんですか?」
 むすっとした表情を見せると、ホレイショは笑顔のまま「すまない」と謝った。
「百面相してるぞ、
「え?」
 今度はきょとんとした表情になる。
 笑顔のまま今度はホレイショが尋ねる。
「怖いか?」
 そう聞かれ、彼女は少し考える。
 確かにエレベータに閉じ込められるなんて初めてのことで、怖い。
 しかし独りじゃない ―― は首を振った。
「ううん、怖くない」
「そうか」
 彼に釣られて思わず彼女も笑顔になった。

 仄暗いエレベータの中は、静寂に包まれている。
 ホレイショとは何も言葉を交わさない ―― しかし不安は感じられなかった。
 上司と部下だからか・・・いや、それ以上の信頼感があるのだろう。



 暫く時間が経過した。
 は少し身震いする ―― 寒い。
 暴風雨の中歩いて署まで来たのだ。
 びしょ濡れのままエレベータに閉じ込められる方の身になって欲しい。
 しかしどうしようもない。
 もう暫くは閉じ込められていないといけないだろう。
 彼女は我慢を選んだ ―― しかし、身体は心と違って非情だ。

「くしゅんっ」
 思わず小さくくしゃみをしてしまった。
 ホレイショはのほうを見て、心配そうに訊く。
「寒いか」
「だ、大丈夫です」
 膝を抱えて丸まる。小柄な彼女は丸まったことでますます小さく見えた。
「う゛〜・・・」
 寒い、死ぬほど寒い。
 よく考えればエレベータ内には暖房も何もかかっていないのだ。
 ホレイショは小さく震えている彼女を見つめていたが、もう少し近くに寄った。

、上着を脱げ」
「え?」
 顔を上げてホレイショを見る ―― きょとんとしてたが、ハッと気付いた。
「そっか」
 濡れた上着を着ていると確かに寒くもなる。
 他の服が脱げない代わりに、彼女は上着を脱いだ。
 隣を見ると、何故かホレイショも脱いでいる。
「チーフも濡れたんですか?」
「馬鹿を言うな」
 脱いだ上着をに掛けてやった。
 ふわぁ、と彼の香りが身近に感じられる。
「え、え!?大丈夫ですって」
「いいから羽織れ」
 ホレイショはいつもの命令口調だが、とても優しい声だった。
「風邪を引かれると困る」
「・・・どうしてです?」
「DNAラボからの笑顔が見えないと、どうもやる気がしないんだ」

 もう乾いていた髪に触れ、微笑む。
 何故だか解らないが、いつもと違う笑顔を見てしまった彼女は胸が高鳴ったのが解った。
 そう言われると、何も返せない。
 照れたように目を逸らし、下を向いて微笑んだ。

「風邪を引くわけにはいかないじゃないですか」
「あぁ、頼むよ」





 少し経つと、再びエレベータ内に機械音が響いた。
 サブライトは消え、電灯が再び生気を取り戻したように輝き始める。
 上に向かって上昇していることが身体を通じて解った。

 ―― 復旧したんだ。
 はホッとした中にある名残惜しい思いに気付かなかった。



 チャイムが響き、ドアが開く。
 見慣れたCSIの景色が広がる ―― ロビーには誰も居なかった。
 エレベータから降りて、は振り向いた。
「チーフ、シャワー浴びてきます!」
 元気な声に安心したように微笑む。
「あぁ、行ってこい」
「何処に居ます?」
「オフィスに居るから来るといい」
「はーい!」
 軽い足取りでシャワールームへ向かっていった。
 そんな彼女の後姿が見えなくなるまで見つめ、やがてホレイショも歩き出す。


 いつも歩いている場所なのに、何かが違った。
 外が豪雨だからか、人が居ないからか ―― それとも、エレベータが停止したからか。
 ホレイショは一度だけ振り返る。
 誰も居ないロビーに居座っているエレベータが見える。
「・・・・・・・・・」
 何も言うでもなく微笑み、再び歩き出した。





 エレベータだけが知っている。

 2人だけの時間、2人だけが進展した距離を。



■ author's comment...

 今回はハリケーンネタでした。と言っても殆どハリケーンじゃなくてエレベータ・・・。
 去年の凄い奴、それは“カトリーナ”です(笑)
 フロリダに大きな被害があったなぁと思いまして!“リタ”もそうですけどね。
 いや〜ずっと前から書きたかったんです!!
 ニヤニヤしながら打ってました ―― 変な奴です、ハイ(汗)
 ちなみにこれを書く際にハリケーンの名前について調べました。
 ・・・長くなりそうだ、日記に書くかな(笑)

 date.06---- Written by Lana Canna


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