Little Habana
この日、科学捜査課は残忍な殺人を取り扱っていた。
今回はも交えて捜査をしているのだが、彼女はあまり乗り気じゃない。
なぜなら殺された男性は “キューバ移民” ―― 亡命者だからだろう。
あまりマイアミのことを知らないは、こういった事件はどう扱えばいいのか判らかった。
「リトル・ハバナへ?」
ホレイショの隣を歩くは顔を顰める。
肯定の返事を返したホレイショはの方を向いた。
「そうだ。嫌か?」
「嫌です」
「何故?」
はきょろっと辺りを見回す ―― デルコが居ないか確かめているのだろう。
彼はリトル・ハバナに住んでいるため、あまり悪口は言いたくない。
でもはそこの住人をよく思っていないのだ。
「だって、郡警察に非協力的でしょ?」
「あぁ、それが何だ?」
「嫌いじゃないんですけど、怖いじゃないですか!!」
自分の腕を抱いて怯えた格好をする。
ホレイショは声を立てずに笑いながら駐車場に停まってるSUVへ向かった。
「そんなことは無い。放っておけばいいさ」
は苦笑いをして、SUVに乗り込んだ。
ホレイショも運転席に乗り込む ―― エンジンをかけた。
「現場に連れて行ってもらえるのは嬉しいけど」
「なら行くぞ」
「行きたくないです」
「もう遅い」
SUVは出発し、警察署の駐車場を出て走り出した。
“Welcome to LITTLE HAVANA” と書かれた看板を越え、SUVは音を唸らせながら尚も走る。
思いっきり科学捜査班と書かれている車は道行く人々の目に留まっていった。
ホレイショは気にしないが、助手席に座るは居心地が悪そうに窓の外を見る。
キューバ移民の殆どが嫌な顔を露にしているのがわかった。
そして、目的の家付近に車は停止した。
ホレイショは堂々と、そしては心配そうに車から降りる。
2人はSUVの前に立って前方を見る。
「う゛・・・この視線がやっぱ怖いです」
は思わずたじろいだ。
目的の家の周りには住民が集まっていて、なにやらキューバ国旗や看板を持っていた。
そこには警察に対する暴言が書かれている ―― やはり怖いと感じざるを得ない。
集まっているのは総勢約100人あまり、全員がホレイショとの2人を睨んでいた。
「チーフ」
「何だ?」
「私たちだけですか?」
ホレイショは言葉の意図が解らないみたいだ。
首を傾けて 「というと?」 と訊くと、彼女は不安な面持ちで続けた。
「ヘイゲン刑事は?」
「彼はカリーと尋問してる」
「じゃあ2人であの大群を相手にしなくちゃならないんですか!?」
信じられない!と言いたげに隣を睨みあげた。
ホレイショはいつもの笑みを浮かべて答える。
「それは無いよ。バーンステインを待とう」
「此処で?」
「 “家の中で” が理想だな」
「遠慮します」
即答するを見てホレイショは笑っている。
彼女は笑うなとばかりに再びジロリと見る。
「第一線でしすぎなんですよ、仕事」
「何事も第一線は大切だろ?」
「だからってあの殺気の中歩かせるのは止めて」
は思わずため息を付いた。
2人が見守る中、ざわざわと騒ぎ立てていた連中は更にその声を荒立て始めた。
彼女の耳に入ってきた言葉は「政府の狗どもは帰れ!!」くらいで、後はよく聞き取れない。
殆どの言葉がスペイン語だ ―― 彼女は習得していないため、解っていない。
ぎゃあぎゃあと大勢の人々が声を張り上げてホレイショたち警察を貶していることだけは確かだった。
「ヒートアップしてきたな」
客観的な意見を述べたホレイショとは対照的に、は腫れ物に触るかのような表情をしている。
「バーンステイン刑事はまだですか?」
「さぁな」
声が掻き消されそうな中、彼は不思議そうにを見た。
「スペイン語が解るのか?」
「解んないけどあの剣幕から想像できます」
指を差した方は、もはや戦場と言っても過言ではないほどのデモだった。
老若男女、恐らく近所の住人が団結しているのだろうが・・・恐ろしい剣幕だ。
バーンステインが一刻も早く到着出来るよう願っている彼女は、耳元でヒュンッと何かが通り過ぎる音に気付いた。
「え?」
ガンッと後ろのSUVにぶつかったもの ―― 何処から取ってきたのか、少し大きい石だった。
瞬時に判断できた。
前方の連中か、他の住人が投げてきたものだろう。
まさか石まで投げてくるとは。は信じられないとばかりに目を見開いて辺りを見回す。
軌道から言って前方からだろうと思ったが、誰が投げたのかは察知できない。
暴言の中でも盛大な声で誰かが叫んだ。
スペイン語で解らなかったが、その言葉にホレイショの表情が険しくなったのは解った。
「どうしたんですか?」
不思議そうに隣を見上げたは、自分に向かって飛んでくる石に気付かなかった。
「、避けろ」
「へっ!?うわっ!」
グイッと腕を引っ張られ、彼女はバランスを崩してホレイショの胸に倒れこんだ。
突然のことに顔を上げたはガラスが盛大に割れた音に気付く。
「何!?」
SUVからだ ―― 横を向くと、車のフロントガラスが粉々に砕けていた。
助手席にはガラスと共に石が乗っている。
ホレイショが引っ張ってくれなかったら、今頃の頭にぶつかっていただろう。
顔面蒼白したを、ホレイショが素早く引っ張って走る。
ヒュンヒュン、と石が飛び交う中、は片手で頭を庇いながらホレイショの後を走る。
SUVの後ろに隠れると、彼が振り返る ―― 「大丈夫か?」と声を掛けてくれた。
「えぇ大丈夫です・・・けど、これは事情聴取どころじゃないですよ」
ガンガンと車にぶつかる音がする。
尚もスペイン語の暴言は続いている。
流石のホレイショも真剣な表情になり、腰から銃を抜き取った。
「、君ならどうする?」
「私の希望は帰りたいです」
「残念だがそれは出来ない」
笑われてしまった。
寧ろこんな状況でも楽しむことが出来るホレイショをは尊敬してしまう。
銃を抜いてどうするつもりなのだろう?が見守る中、ホレイショはバッとSUVから飛び出る。
前方に構えてる ―― まさか撃つつもり!?
「チーフだめっ・・・」
咄嗟にが叫んだが、ホレイショは引き金を引いた。
バァン!と乾いた音が轟いた ―― は愚か、暴言を吐いていた連中も途端に静まり返る。
一方ホレイショは満足げに微笑み、前方に向かって冷たい声で叫んだ。
「これ以上邪魔するなら、全員公務執行妨害で逮捕する!!」
えっ!?チーフってそんな権限あるの!?
一番驚いたのはSUVの後ろに隠れるだった。
しかしすぐに思い留まる ―― 警部補の地位についてるなら出来るような気がする。
今までやりたい放題だった連中は、ざわざわとそれぞれ顔を見合わせて、やがて二手に分かれた。
なんだかんだ言って捕まるのは嫌なようだ ―― 道を開けてくれた。
ホレイショはよし、と呟いての方を振り向く。
「」
「は、はい?」
「家の中でバーンステインを待つぞ」
彼の笑みがとても不敵なものだったが、は意外にも頼もしい感情以外存在させなかった。
手を引っ張ってもらい、立ち上がる。
もう怖さは無い ―― この人が隣に歩く限り、恐怖は跳ね除けられるのだろう。
は彼の隣に立って歩き出した。