Society
この日、珍しくCSIにホレイショの姿は無い。
フロリダ州の群警察科学捜査課の主任が集まる“科学捜査学会”がマイアミ大学で開かれている。
勿論マイアミ・デイド郡の主任であるホレイショも出向いていた。
幸いにも事件は起きていないため、上司が不在のCSI内にはのんびりとした空気が流れていた。
しかし、DNAラボに居るは面白くなさそうに足をブラブラ揺らしている。
ホレイショは彼女にとって最愛の恋人だ。
そんな彼がいない ―― それだけでこんなにもつまらないなんて、思いも寄らなかったに違いない。
深くため息を付いて机にうつ伏せる。
考えてみると、出勤すればいつもホレイショに逢えた。
彼は仕事熱心な人だから、滅多に休みを取らないで働く ―― 休みを取っても科学捜査の勉強を怠らない。
だから職場に彼の姿がないと、何だかとても寂しく感じていた。
再びため息を付いた彼女はポケットの中から機械音が鳴っているのに気づいた。
携帯を取り出して通話ボタンを押し、低い声で返事をした。
「はい、です」
『ホレイショだ』
「・・・え、チーフ!?」
彼の声が届いた途端、ガバッと勢いよく起き上がる ―― 彼女は輝くような明るい笑みを見せた。
「どうしたんですか?」
『声が聴きたかっただけだよ。迷惑だったか?』
「そんな、迷惑じゃないですよ!」
心なしか彼の声がいつもと違うような気がした。
は少し考えて、小さな声で呟いた。
「・・・もしかして緊張してます?」
『解るか?』
苦笑しがちな返事が返ってくる。
どうやら初めての科学捜査学会に、ホレイショは柄にもなく緊張しているようだ。
は小さく笑って言う。
「頑張ってくださいね」
『あぁ、頑張ってくるよ』
電話を切り、は思わず携帯を見て微笑む ―― 可愛いなぁと思ったに違いない。
何もすることが無いは、休憩室へ向かおうと思い、DNAラボを出た。
通路を歩いていると、ばったりデルコに会った。
「おはよーデルコ!」
笑顔で挨拶をした彼女に、彼は微笑んで返す。
「チーフに逢えないから寂しいの?」
「え!?ち、違うもん!!」
千切れんばかりに首を振って否定したが、彼は笑っているだけだ。
やがて、彼女は頬を染めて頷いた。
「・・・さっき電話があったの。声聴いたら逢いたくなっちゃって」
「だったらさ、行ってあげなよ」
は「え?」と聞き返してしまった。
意外な返事に驚いてしまったのだろう ―― しかしデルコは笑顔のまま続けた。
「場所はマイアミ大学だし、IDカードを持って行けば入れるよ」
苦笑いを浮かべたの気持ちが解ったのか、彼は明るい表情を見せてくれた。
―― 喜んでくれるよ、と言いたげに。
「そうかなぁ?」
の顔が徐々に明るくなった。
頷いたデルコを見て、満面の笑みになった彼女はロッカールームへ向かっていった。
歩いていたが、時期に小走りになっている ―― そんな後姿を見てデルコは小さく笑った。
を乗せた赤い “ミニ・クーパー” がマイアミ大学の駐車場に停まった。
車から降りた彼女は、「遂に来ちゃったなぁ」と言いたげな苦い顔に変わっていた。
半ば乗せられたといっても過言ではない ―― でもホレイショに逢えるどころか科学捜査の講演が聴ける。
嬉々の表情になったが、すぐに暗い顔になる。
「・・・仕事中に来たことを怒られたらどうしよう」
苦悩の表情をして頭を抱えながらも、はマイアミ大学のロビーに入っていった。
“科学捜査学会” と書かれたボードの指示に従い、彼女は広い通路を通っていった。
やがて受付口が見える。スーツを着た女性が営業用の笑顔でシナリオ通りの言葉を吐いた。
「ようこそ科学捜査学会へ。IDカードを提示していただけますか?」
「・・・はい」
IDカードを見せると、その女性は軽く見て笑顔と共に返してくれた。
「有難うございます。どうぞお入りください」
女性の言葉を聞き、は大きなドアの方を向いた ―― その時、そこからホレイショの姿が見えた。
会場から出てきた彼を見た途端、は満面の笑顔になる。
「チーフだ!」
ホレイショは振り返り、と目が合うと驚いたように目を見開いた。
「!?」
小走りになって胸に飛び込んだを受け止めた彼は、信じられないような表情で彼女に問いかけた。
「何故此処に居るんだ?」
「デルコの入れ知恵です」
明るい笑顔になり、背伸びをして彼に触れるだけのキスをする ―― ちゅっ、と音が響いた。
「・・・逢いたくなったから来たの。仕事中だから怒りました?」
上目遣いで訊いてみると、ホレイショは優しい笑顔を返して彼女を抱き締めた。
「俺も逢いたかったよ」
大学の会場に、フロリダ州にある科学捜査課主任が集まった ―― 延べ60人ほど。
その中でも十数人が科学捜査について講演を行うそうだ。
は一番前の席を用意されていたホレイショの隣に、恐縮しながら座る。
マイアミで行われることもあり、彼が最初に講演するらしい。
暫く経った後、遂に科学捜査学会が始まった。
ステージに立ったホレイショは、彼らがいつも行っている科学捜査の方法を紹介し始めた。
大きいモニターで映された資料の隣にホレイショが立つ ―― は彼を見つめていた。
いつも第一線で活躍している行動派の彼が、たった今学会に出席している。
何だか意外な顔を見たようで、彼女はとても嬉しく思っていた。
すると、ポケットの中にある携帯が小さな音で鳴り始めた。
慌てて通話ボタンを押し、声を押し殺して話した。
「です」
『デルコだ。、今大学?』
「うん、学会聴いてるところ」
『悪いんだけどCSIに戻ってくれない?事件があったんだ』
「嘘!?」
どうしよう、と困惑の表情になったをホレイショは見逃さなかった。
彼女はホレイショの方を見る ―― ステージ上だと言うのに手招きをしている。
「・・・あれ、こっちに来いって事?」
戸惑いながらもは立ち上がり、控えめな歩き方でステージ上に上がった。
集まっていた主任たちはざわざわと騒ぎ立てるが、ホレイショはそんな事などお構い無しだ。
マイクから少し離れ、彼女の方を向いた。
「どうした?」
「デルコから、事件があったとの連絡が」
が答えたその時、何処からか大きな声が上がった。
「その女性は誰です!?」
群集は一斉に声が上がった方を見る ―― 真ん中ら辺に座っている、ジャクソン群警察科学捜査課の主任だ。
ホレイショはふと群集の方を見て、笑顔で答えた。
『愛する人だ』
スペイン語だったため、は愚か殆どの人が解らなかった。
しかしホレイショは戸惑う彼女の腕を引っ張って、そのまま唇を重ねた。
「んぅっ!?」
突然のことには目を見開き、離れようとするが ―― 離れない。
「・・・ふぅっ・・・・・・んんっ・・・」
微かな声でさえも、マイクは拾ってしまう。
やっとのことで離れる ―― 目をとろんとさせながらもは離れた途端叫んだ。
「チーフ、何してるんです!」
公衆の面前で・・・と頬を真っ赤に染めている彼女を見て、ホレイショは楽しそうに笑っている。
彼女の手から落ちそうになっている携帯を取り、耳に当てた。
「デルコか。あぁ、すぐ行く」
短い返事をして携帯を閉じた。
呆然としている群集に向かって、先ほどと同じく営業用の声で言った。
「以上、事件なので席を外します」
「ちょっ、チーフ!?」
困惑の表情を浮かべていたを引っ張り、会場を出て行った。
大学の通路を引っ張られるように歩くは、ふと訊いてみる。
さっきの余韻が残ってるのか、まだ頬は赤い。
「チーフ」
「何だ?」
「さっき・・・スペイン語でしょ。なんて言ったんですか?」
ホレイショは短く笑って、答えた。
「デルコが知ってるよ」