■ Inexperienced Love


 午前9時。
 起床して10分も経っておらず、は眠そうに盛大な欠伸をしながら歩いていた。
 まだ頭が働かない。それもそうだ、寝たのは3時間前の午前6時だ。
 それでも強引にベッドを抜けたのは他でもない、ホレイショの頼みだからだった。



 あれは寝静まってすぐのことだった。
 携帯電話独特の、何の感情も無い機械音が大きく鳴り響き、仕事漬けの毎日を送っていたは無意識で出てしまったのだ。
、急で悪いんだが」
 ホレイショの第一声が意外だったため、の目が開く。
 寝ぼけているのか、のんびりした声で「どうしたんですか?」と言った。
「これから3時間後に出勤して欲しい」
「・・・え?」

 耳を疑った。
 3時間しか睡眠時間を取ることが出来ない職場なんて、マイアミ中の何処を探しても見つからないはずだ。
 それでも、の返事は一つしかなかった。
「解りました」、だ。
 相手がホレイショだからだろうか、どんな無理もしてあげたく思ってしまう。詳しく事情を聞けば、ますますそう思った。
 何か事件が起きたらしい。
 これからラボクルーが証拠採取をしに行き、大量の血痕を持って帰ってくる予定が3時間後。

「君は3時間後に血痕のDNAを分析してほしい」
 いいな、と有無を言わさない口調には焦りが含んでいる。
「はい」と答えると、乱暴に電話を切られた。

 ・・・忙しいのは解るけど、何か悲しくなるなぁ。
 通話が終わった後に聞こえる無機質な音を聞きながら、が再び眠りに着いたのだった。



 それからきっちり3時間後に起きて、温かいベッドを名残惜しく思いながらも簡単な準備をして出掛け、今に至る。
 何度も欠伸をしながらも歩くと、あっという間に署までやってきた。
 歩きながら、今にも眠りにつきそうだなぁと自分で思う。
 仕事に支障をきたさないためにも覚醒したいところだが、どうも思うように行かないのは、睡眠時間が短いからだろうか?

 署の構内に入ったところで、はたと気付く。
 そういえば、なぜ3時間後に限定されてるんだろう?
 別にラボクルーが証拠採取を終える時間は3時間後ではないはずだし、ホレイショだってすぐを呼ぼうと思えば出来たはずだ。

 ・・・もしかして、気を使ってくれたのかな。
 睡眠時間が足りなかったことを知っていたホレイショが、「少しでも眠ってくれ」と言ってくれていたのかもしれない。
 実際にそう言われたわけでは無いが、あの“3時間”がそう伝えてくれているような気がした。


 優しいなぁ、と頬を綻ばせる。
 彼女はそんなホレイショを尊敬し、憧れていた。
 ただ憧れだけがあるわけではない。恋愛感情があることも知っている。
 それでも何もアクションを起こせないで居たのは、ホレイショが上司という立場だからだろうか?


 数段しかない階段を上りながら、は自嘲の笑みを浮かべた。言い訳ばっかりじゃない。

 本当は私が臆病なだけなんだから。






 ぼんやりした脳内でそんなことを考えていたが、署内の自動ドアを抜けた途端、一瞬で頭が覚醒した。
 が丁度中央で目撃した光景は、微笑ましくも戦慄的なものだったのだ。


 エレベータ前に、ホレイショと誰か女性が楽しげに話していた。
 特徴的なウェーブの髪から、イェリーナだと解る。笑い声が高らかで、弾んでいた。
 二人の会話の内容は聴こえなかったが、それでも笑っているホレイショを見て、の胸は痛む。

 彼の笑みから、唯の兄妹とは思えないような不安を感じてしまった。
 チーフ、昔はイェリーナ刑事のことが好きだったんだよね・・・。
 余計なことを思い出し、つい頭を振ったが、それでもすぐ忘れ去ることは出来なかった。



 イェリーナの笑い声がまた、此処まで聴こえた。
 怒るという感情より、悲しい思いが溢れた。

 やばい、泣きそう。

 咄嗟に目を伏せたが再び視線を上げると、目が合った。
 ホレイショがこちらを見ている。表情は読めないが、の存在には確実に気付いたみたいだ。

 どきっ、と胸が大きく高鳴った。






 逢いたくない。

 こんな状況で会ったら、泣くに決まってる。







 とにかくこの場から消え去りたかった。
 反射的に踵を返した。足早に署を出る。
 ホレイショが追ってこないことを願いながら、歩き続けた。階段を降り、構内まで歩く。


 ふと、立ち止まる。

 イェリーナを置いたまま、追いかけてなんてこないか。


 至って正論だった。
 それでも、やっぱり悲しかった。

 空を見上げた拍子に、涙が零れる。
 真っ青な空すら、にとっては悲しく思えた。










 その時。
 ふわっ、と何かが彼女の身体を覆った。
 抱き寄せられたような感触が全身に伝わる。には今何が起こったのかが解らなかった。





 愛しいホレイショの声で、名前が呼ばれた。

「何故泣いているんだ?」



 思わず振り返ろうとしたが、それすらも許さないほど、きつく抱き締められた。




「あれ・・・チーフ?」
「他に誰がいるんだ」
「イェリーナ刑事は?」

 の声が震えていることに気付いたのか、ホレイショが笑い声を上げた。

「何だ、嫉妬か」

 見透かしたような声色に、思わず頬が赤らんだ。
 何も言い返せず、俯く。そう、彼女は嫉妬をしていたのだ。

は、俺がイェリーナと何かあったと思ったのか?」

 ホレイショが、わざとの耳元で囁く。
 顔をしかめる。図星なために言葉を返すことが出来ないが、彼がからかっていることだけは解った。


「チーフなんて大嫌い」


 聴こえないように呟いたつもりだが、ちゃっかり聴こえていたみたいだ。
「大嫌い、か」と耳元で聴こえたかと思うと、視点が180度変わった。身体を回されたようだ。

「ひゃあっ! ちょっ、チーフ?」
 焦った声を上げたが、再び強く抱き締められて声がくぐもってしまった。
 怒ったかと思って謝ろうとしたその時、先に口を開かれた。



「頼むから」
「・・・えっ?」
「二度と“嫌い”だなんて言わないでくれ  俺は君に嫌われるのが一番怖いんだ」

 震えそうな声が聴こえた。
 彼の表情は見えないが ―― こんな声、初めて聴いた。

 さっき私が泣いてたときと同じなのかな。








「ごめんなさい」

 いつしか彼の身体に腕を回していた。

「本当はね、大好きです」




 やはり表情は見えなかったが、更にきつく抱き締められたことは感じられた。




「知ってたよ」
 心なしか、嬉しそうな声に聴こえた。

 身体を離され、ようやく彼の表情が見える。いつも通りの優しい笑顔だ。


「やっと君を手に入れられた」

 、と甘く愛しい声で囁かれると、くすぐったいような、恥ずかしいような、そんな思いでいっぱいになった。











「手に入れた限り、二度と逃がさない」







 ホレイショの声を聴いて、は一瞬ではにかんだような笑みになった。







「あぁ、やっとあなたのものになれた」









□author's comment...

 一周年フリー夢でした。
 えー・・・久々なので書き方がめちゃ違うような気がするのは、私だけでしょうか?? (焦)
 CSIを見ずに書いたので、「チーフ!?」って思うかもしれませんが・・・
 大目に見てやってください(涙) 私なりに頑張ったんです、きっと。
 ・・・それにしても、書き方がギャングに影響されてるなぁ・・・(汗)

 date.061002 Written by Lana Canna
 お題 【 真っ青な空を見上げた 一筋の涙がこぼれた