上機嫌な笑みのが、器用にもピンヒールのブーツでスキップ歩きをしている。
薄いファイルを満足気に叩く。黒崎からの指令は、遂行出来た。
空を飛びそうなほど軽い足取りが、はたから見れば可笑しくも見えるのだが、本人はそんな事を気にしない。
ふと、足が止まった。
喫茶店の窓ガラス越しに、にとって面白い人物が映ったのだ。
楽しげな笑い声を上げながら、その喫茶店へ入って行った。
「神ー志ー名ーさんっ!」
わざと明るい声で呼んでやると、相手は飲んでいたコーヒーを大袈裟に吐き出した。
振り向いてを視界に入れる。あからさまに嫌な顔をされた。
「・・・小娘」
「でいいですよ」
いちいち表情を作ってくれる神志名警部補は、今のにとって格好の遊び道具なのかもしれない。
案の定、神志名が呆れるように溜息をついた。
「お前に構っている暇は無いんだ」
「あれれ、そんなこと言っちゃっていいの?」
手を挙げてファイルを見せた。
クロちゃんに怒られるかな、なんて考えつつも、瞳孔を細めて薄ら笑みを浮かべる。
たまにはかき回すのも面白いかもしれない。
「あなたの大好きな黒崎さんがどんなシロサギを食おうとしてるか、知ってるんだけどなー」
神志名のリアクションは予想外のものだった。
向かいの席を指差して「座れ」と言われたのだ。あの神志名がと共に座るとは、考えもしなかった。
そこに座ったものの、堪えきれず噴出してしまった。
「興味津々にもほどがあるって」と呟く。
なんせ警察と詐欺師がお茶をするなんて、前代未聞だ。
「そんなに知りたいの?クロちゃんの動向」
神志名の返事は単純明快だ。
「知っているんなら、吐いたほうが身の為だぞ」
鋭い目を向けられた。思いのほか迫力があって、には意外に感じられた。
彼女も負けじと瞳孔を細める。まるで猫が笑ったかのような表情だ。
「その言葉は駄目だよ、令状ないんでしょ?」
「話を持ちかけたのは小娘、お前だろうが」
「でいいってば」
睨まれ続けるのも、癇に障る。
やがて、が折れた。わざとため息をついて、逆に勝ち誇った笑みを見せつけた。
「脅されといてあげるよ、警部補さん」
それから、短い間に黒崎が狙っているシロサギの名前とどんな詐欺を行っているのかだけ教えてやった。
「もうないのか? そいつの住所だとか、もっと教えることがあるだろ」
神志名の表情が深刻さを帯び始めている。今すぐにでも調べに行きたいはずだ。
これ以上話したら、クロの仕事の邪魔になるかも。
は彼の質問に答えず、嘲笑だけ見せた。
「残念、ここまでー」
「何だと!?」
「意欲があるのはいいけど、私はあなたの敵であり、クロの味方だからね」
立ち上がって歩き出す。神志名の呼び止める声にも反応しない。
喫茶店を出たところで、左手に持っていたファイルを見下ろした。
「クロの仕事が上手くいかなかったら、今回ばかりは私のせいだ」
微塵も思ってない言葉を呟き、再び歩き出した。
黒崎のアパートまで、もうすぐだ。
「たっだいまー!」
乱暴にドアを開け、慣れた手つきでブーツを脱いだ。
そして台所の横にあるガラス戸を開けた。
「おう、おかえり」
ベッドに座ってただ本を見つめている黒崎は、いつもの飴を舐めているのか、声が何処かくぐもっていた。
「親爺から受け取ってきたか?」
「ばっちりです!」
ピースマークを向けたが、残念ながら見てくれなかった。
これには流石のも顔をしかめた。
「神志名さんにもっと情報を教えればよかった」
クロちゃんなんて仕事の邪魔されちゃえ、と続けた声が黒崎の耳にも届いていたみたいだ。
途端に顔を上げた。若々しい顔に嫌悪が混じっている。
「お前、いまなんつった?」
「仕事の邪魔されちゃえって言ったけど」
「その前! なんであのクソマッポの名前が出て来るんだよ!?」
「別に会ったっていいじゃない」
思いっきり顔を背けてやった。黒崎はムッとしたみたいだ。
「あいつは警察だぞ!? 何で親しげなんだよ」
神志名の名前が出るだけで声を張り上げるんだから、情報を流したと知ればどうなるのだろうか。
意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「クロちゃんと神志名さんの一騎打ち! いやー楽しみなのだ」
「はぁっ!?」
目を剥いた様子がには痛快だ。
「、お前あのマッポに情報を流したって言うのか」
「ちょっとだけだよ」
とりあえず、自分をフォローするつもりで「私はクロちゃんの味方だもんね」と続ける。
怒るかと思ったが、黒崎は呆れたように深い溜息をついた。
「負けないんでしょ?」
わざと挑発した。
つい挑発に乗ってしまうのが深層心理だ ―― もちろん黒崎も例外ではない。
「負けるわけねぇだろ」
鋭い笑みは、愉快気に見えた。
「それにしても、クロちゃんって本当に神志名さんが嫌いなんだね」
再び黒崎の表情が歪んだが、は逆にそれを面白がって笑った。
「警察が好きな詐欺師が居るなら、それこそ教えて欲しいね」
「あのハングリー精神は好きだけどなぁ」
「いつか足元を掬われるぞ」
「あのクロが私の心配をするなんて ―― どうしちゃったの?」
「おれよりも、危なっかしいが原因じゃないのか?」
ため息をついて再び視線を逸らした黒崎を見つめながら、やがて口元だけ吊り上げ、不敵な笑みを作った。
「解った、解っちゃったよ〜!」
「なにが?」
「嫉妬でしょ、それ」
わざと声色を変えて言う。
の予想通り、黒崎は「はぁっ!?」と大袈裟に叫んだ。
その拍子にベッドから落ちそうになったが、どうにかそこまではしなかったようだが ―― それでも驚いている。
「なんで嫉妬だよ! つか、誰が誰にだって!?」
「私と神志名さんはそんな関係じゃないよ〜」
「人の話を聞け!!」
黒崎の言葉も聞いているが、そんな素振りも見せてやらない。
鞄から鍵を取り出す。の愛車、ミニクーパーの鍵だ。
「何なら、もう一回神志名さんに会ってこようかなぁ」
さながらと神志名が望んで会っていたような言い方だ。
もちろん現実はそんな御伽噺ではない。
は会ってもいいが、相手が心底嫌がるに決まっていた。
黒崎の表情が一変した ―― 神志名がしそうな、嫌そうな顔だ。
逆にが愉快な笑みを浮かべる。鍵を指で回すと、金属がぶつかる音が響いた。
「あれれークロちゃん、何か言いたそうだね」
本を横に置いて立ち上がる黒崎を眺める。
まさか自分も行くなんて言わないでしょうね、なんて思いながら。
「私が神志名さんに会いに行くのに、クロちゃんが嫌な顔をすることないんじゃない?」
と、言いかけたその時だった。
突然、右腕を引っ張られた。
は思わず短い悲鳴を上げてしまった。自分の身体が傾いたのが十分解った。
持ち直そうとしても、そのまま腕を掴まれていて、上手く受け身が取れない。
このままでは、黒崎にぶつかる。
反射的に目を瞑ってしまった。
身体を支えられた。
と思ったら、唇に違和感を覚えた。
何かを押し付けられたような、そんな感覚に、思わず目を開いてしまった。
見覚えのある漆黒の髪が、目の前にあった。
それ以外、何も見えない ―― 全ての視界に、見覚えのある顔が見えていた。
現状が瞬時に把握できた。と同時に、離れようともがく。
それでも離れず、寧ろ状況は悪化した。
もがいたときに角度が微妙に変わったのか、口内に滑り込んできた違和感に、愕然とした。
理由が解らなかった。
無意識にあふれ出る吐息に耐えられなくなり、唯一自由の左腕を上げた。
そのまま下ろしてやろうと思ったが、腕を持たれた感触に苛まれた。
作っていた拳が解かれ、中の鍵が奪われる。
すると身体を押された。よろめきながら後ずさる。
紅潮した頬を両手で押さえた。
なんで? そればっかりが彼女の中を巡る。
張本人は、まるでシロサギを喰う直前に見せるような表情になっていた。
いつもの黒崎には見えなかった。
目の前の人物が誰か解らない。の中で恐怖心が芽生えたのは、久し振りのことだった。
「ざまあみろ」
舌を出し、意地の悪い笑みを向けた。
のリアクションが痛快だったのだろう。
「の車借りてくぜ」と言い残し、返事を聞かずに出掛けていってしまった。
バタン、とドアが閉じる音が部屋中に響き渡った。
膝が折れ、崩れるように座り込む。
「なに、あれ」
表情は漠然としていたが、脳内では様々な理由を考えていた。
私と神志名さんに、本当に嫉妬してたの?
まさか車の報酬だったりして。・・・そっちの方がクロっぽい。
赤く染まった頬と高鳴る心臓が、理不尽さを物語っているように思えた。
車と引き換えに、厄介なものを手に入れてしまった。
顔を顰める。無機質なドアを睨んだ。
隣にまで聴こえそうな声が、ドアの音のように響き渡った。
「そんな詐欺、絶対に認めないんだから!!」
□author's comment...
一周年フリー夢でした。クロなんだろうか・・・不安と言うより、不思議だわ。
神志名さんも出したかったから、試行錯誤の末にこんな結果となってしまいました。
最後の仕返しだけはこうしてやろう!って考えてたんですけどね。
クロは恋愛ごとを拒否してるので、こんな形で甘く(?)してみました。
ちなみにタイトル“鷺を烏と言う”の意味は『理に適ってないこと』です。
date.061008 Written by Lana Canna
お題 【
好きじゃないなら 唇を合わせないで 】