■ 未来はすでに始まっている
= T =
出版社の一室で、は大きな欠伸をした。テーブルに無造作に置かれたカップを持ち上げ、一口飲む。すぐ顔をしかめた。
「不味い、これ」 小さく呟いてコーヒーを置いた。「響さんが入れたほうがまだ美味しいや」
の脳裏に行きつけの喫茶店の風景が浮かぶ。久しく行ってないなぁ、と溜息をついたとき、部屋のドアが開いた。見知った男性が笑みを貼り付けて入ってきた。担当の鈴井だ。先ほどが渡したはずのディスクを持っている。
「ちゃんお疲れ。原稿オッケーだったよ」
「そう、よかった」
思わず安堵の笑みに変わった。これで彼女の仕事は一応終止符を打ったわけだ。
は翻訳家だ。特に翻訳作業が好きでもないのだが、自宅で出来る仕事に就きたかったため、仕事に選んだだけだった。まだ翻訳家になって一年も経っていないのだが、仕事は意外と入る。
「若き翻訳家」 と有名になったからかもしれないが、何にしてもは忙しいことが嫌いなため、仕事の依頼が絶えず入るのはあまり好ましくないようだった。
「この話、どうだった?」
不意に訊かれ、は鈴井を見た。すぐに顔を綻ばせる。
「現実味があって面白かったよ」 鈴井の手元に目をやる。「親近感が湧いちゃった」
「親近感?」
鈴井は思わず苦笑した。銀行強盗に親近感なんて沸くのだろうか。
が翻訳した本は 「強盗犯の些細な過ち」 というタイトルだ。極悪非道の強盗たちが一人の老婆に出会い、老婆の嘘に同情をしてしまった彼らは、結局奪った全額を老婆に捧げてしまったという物語だった。老婆の巧みな言葉に翻弄される強盗があまりにも可笑しくて、は身近な人間を想像してしまったほどだ。
「親近感って、ちゃんの近くにいるの? 銀行強盗」
「居るも何も、あたしがそうだったりして」
「そりゃ面白い」
豪快に笑った鈴井を見ながら、も苦笑する。あながち嘘でもないのだ。
鈴井はふと、笑いを止めた。記憶をさかのぼるように上に目をやる。
「そういえば、最近銀行強盗が増えているよね」
ほら、人質に対して演説をする連続強盗とか、と言うとは頷く。 「増えているのかはわからないけど、その強盗は有名よね。面白いもの」
「でも実際増えているみたいだよ。銀行や現金輸送車を襲った強盗」
担当仲間との会話を思い出しているようで、鈴井の視線はのはるか頭上にあった。
「警察の無能さが深刻になっている一方で、銀行側も何か対策を練っているってさ」
「対策?例えばどんなのがあるの」
がそんなにも食いつくとは思わなかったのか、鈴井は眉間に皺を寄せながら会話を思い出した。やがて、閃いたような笑みになる。
「美作銀行だっけ。あそこは 『さすまた』 を設置したって言っていたよ」
「 『さすまた』 って、最近学校に支給され始めた、あの棒?」
も鈴井と同じように目線を上げた。具体的な形を思い出す。確か、長い棒の先端に
「U」 が付いていたような気がした。
「あれって効き目あるの?」
「あるみたいだよ。犯人と距離を保てるから」
「へぇ」
語尾を延ばしながら脳内でシミュレーションをしてみた。例え捕まえたとしても、犯人が拳銃を持っていれば意味が無いのでは、と微笑を浮かべた。拳銃はナイフと違って飛び道具だから、近づかなくても十分相手を傷つけることが出来る。
「まぁ、それで減ればいいね」 無理だろうけど、と心の中で付け加えた。
嫌味にも取れる言葉を発したは、鞄から振動を感じた。携帯を取り出すと、鈴井の方に笑顔を向ける。
「じゃあ鈴井さん、あとはよろしくねー」
「あぁ、解った。お疲れ」
そそくさと部屋を出るの後姿を見て、鈴井は冗談めかして呟いた。
「銀行強盗の打ち合わせでも、しに行ったのかね」
は階段を駆け降りながら、しつこく鳴る携帯の通話ボタンを押した。
「はいはーい」
能天気な声を発すると、耳元で冷静な声が返ってきた。
「か?出るのが遅いぞ」
「成さんが掛けてくるタイミングが悪いんだってば」
軽快な足音を響かせながらが答える。電話の向こうの成瀬が 「それは悪かった」
と謝ってきた。意外な反応だったため、返答に困ってしまったが、仕方なく用件を聞くことにした。
「で、何の用?」
「例の下見だ」
成瀬の返事は短かったが、それでも突き抜けるほどの印象を受ける。この人が真剣に言うと、ジョークでも笑えないかも。は含み笑いをしてしまった。悟られないように何事もなかったような声を出す。
「今度は何処の銀行にしたの?」
「美作銀行だ」
美作銀行?と訊き返してしまった。先ほど鈴井と話していたとき、話題になった銀行ではないか。
「何か不都合でもあるのか?」
心なしか、成瀬の声が低い。の反応を窺うような声色だった。
「ううん、ないけど」
「嘘だな」
うっ、と言葉を詰める。些細な嘘でも、成瀬の前では通じようがなかったことを思い出した。成瀬と同級生の響野曰く、彼は
「嘘発見器男」 だ。どんな嘘も見抜く力を持っていた。にも特別な力があるのだが、今は使い道すら見当たらない。
「何がある?」
「成さん、何でも見抜くの止めてよね」
苦笑交じりでそう言い、観念したように続けた。
「さっきね、担当さんと話していたの。銀行強盗対策で、美作銀行があるものを設置したらしいの」
「あるものとは何だ?」
「 『さすまた』 だって。今強盗したら確実に食らうわね、あれ」
出版社を出ると、歩く速度を落とした。すれ違った男女は、が銀行強盗の話をしていることに気付きもしない。男女を横目に見ながら、成瀬の答えを待った。
成瀬は何か思案を重ねているのか、暫くの間何の言葉も発さなかった。
成さんっていつも考え事をしているような気がする、と、のんびり歩くも考え始めた。が知る成瀬とは、常に正しい道を歩いている。恐らく成瀬は、間違った道を歩いたことが無いのだろう。今もこうやって考えながら、どの道を歩くのが正しいか思案を重ねているに違いない。
「その道具は、何処かに隠されているんだな?」
「うん、多分、そうだと思うけど」
思っても見なかったことを訊ねられ、はしどろもどろで答えてしまった。すると、成瀬は一時沈黙を置いた後、優しげな声で言った。
「俺達がその場所に、銀行員を近づけなければいい」
「そりゃそうだけど、近づけないようにするのが大変じゃない」
「期待しているぞ、」
「へ?あたしが隠されている場所を探すの」
流石のも信じられないとばかりに吼える。しかし成瀬の考えが変わるわけもなく、
「得意技じゃないか」 と、皮肉めいたことまで言われてしまった。
深い溜息を吐く。こればっかりは仕方ないのか。
「じゃあ現金バス内の金額と警報ボタンの在り処、あと、さすまたが置かれている場所を調べればいいのね」
「出来るか?」
わかりきったことを訊ねてくる成瀬に、殊勝の笑みで答えた。
「成さんの頼みなら不可能すら可能にしてあげるわよ」
□ author's comment...
えー・・・まだまだ全員と話してませんが、一応始めました、連載です。
まず、第一章はオリジナル路線をつっぱしってやろう計画なわけですが・・・
現時点で成さんしか出てない!次回とその次には久遠も出ますが・・・やばい、響さん!
ひょっとして未だ先かもしれない、彼が出てくるの(汗)
まぁ、一応そんな予定です。とりあえずちゃんの職業が把握できればいいかな、と(ぇ)
date.060709 Written by Lana Canna