■ プディングの出来栄えは食べてみてわかる

 携帯電話を失くしてしまい、良子は困り果てていた。
 何処へやったのかを考えるが、浮かばない。良子には鞄の中から出した覚えが無いのだ。恋人の電話番号を思い出そうとしても、記憶の片隅からいつまで経っても引っ張り出すことが出来ない。ゆっくりと地面を這うように歩いた。家出中だった良子は、何がなんでも携帯電話を探し出さなければならなかった。
 仕方ない、と溜息をつく。自分の携帯に電話をするべく、丁度通りかかった少女に声を掛けた。
「あの、ごめんなさい」 控えめな声に気付いた少女が立ち止まる。振り向いて良子を見た。
「何?」若者独特の気さくな話し方だ。 「どうかしたの」
 良子は困り果てた表情をした。 「携帯を失くしたので、電話を貸して下さい」
「あぁ携帯? どうぞ」 少女は快く携帯を差し出してくれた。居た堪れない思いをしながら、素早く電話を掛けようとしたが、少女が上げた声に怯んでしまった。 「ねぇ、探すのを手伝おうか?」
 初対面の少女に言われるとは思わなかった良子は、思わず身体が硬直した。 「いえ、結構です」 と返事を返すまで数十秒もかけてしまった自分を呆れてしまう。
 当たり前の返事だと思うのだが、それでも少女は食い下がった。 「携帯とストラップの絵を細やかに描いてくれれば、すぐ探せるのに」
 それだけの材料で一体どうやって探すのだろう、と不思議に思った良子は何度か断ったが、諦めない少女の根気強さに負けたかのように、渋々頷いてしまった。好奇心が働いたのかもしれない。
「じゃあ早速書いてもらわなくちゃ!」 少女は嬉しそうに笑い、良子の手を引っ張った。 「あたしの家、あそこのマンションだから」
 手を引っ張られながら歩く良子は、やっぱり遠慮した方が良かったかもしれない、と後悔してしまった。


 綺麗に片付いたリビングのソファに腰掛ける。辺りを見回した。名前も知らない少女の家に、のこのことやってきた自分が恥ずかしい。これからどうしようか考えていると、奥の部屋から少女が紙とペンを持ってきた。楽しそうな笑みを貼り付けている。
「詳しく描いてね。じゃないと見つけられないの」 少女の能天気な笑みを見て、良子は思う。悪い人じゃなさそうだ。
 とりあえず少女の言うとおり、描いてみることにした。ペンを持ち、紙の上を滑らせた。記憶を掘り起こして、自分の携帯電話を思い浮かべる。浮かべたとおり、細やかに描いていく。良子は比較的絵心があり、瞬く間に携帯が描かれていった。ストラップも再現する。ブランドのロゴを描いて完成だ。
 少女は感嘆の声を上げながら、それを目に焼き付けるように見た。おもむろに目を閉じた。ただ目を閉じただけなのに、凄く集中力があるみたいだ。良子が小さく身震いをした。彼女には、何か特別な力があるのかもしれない、と本気で思ってしまった。
「解った」 急に少女が高らかな声を上げた。 「白の携帯で、ストラップは黒じゃない?」
 吃驚してしまった。どうして先ほど会ったばかりの少女にそんなことがわかるのだろうか、と疑いたくなるほどだ。
 肯定の返事を出すと、少女は無意識に笑みを作った。 「携帯は車の中にあるわ。車種は、ワゴンね」
「わたし、車になんて乗っていませんけど」 良子には身に覚えが無かった。断言できる。そんな車には乗っていない。
「でも運転席と助手席の間に転がってるよ」 少女の笑みが不敵なものに変わった。 「ねぇ、この車の跡をつけてみる?」
「何処に居るのかわかるんですか?」
「まぁねー」 張り詰めた雰囲気が途切れたかと思うと、少女がゆっくり目を開けた。 「あたしの車で追ってみようよ」
 良子は一瞬戸惑ってしまった。初対面の少女にそんなことさせるわけには行かない。 「で、でも」
「 『プディングの出来栄えは食べてみてわかる』 っていう諺知ってる?」 少女が、良子の言葉を遮るように言った。先ほどと同じ、楽しそうな笑みを浮かべている。
「え?」 聴いたことが無かった。首を傾げると、少女は左人差し指を立てて指揮棒のように振った。
「美味しそうなプディングも、食べて見なければ味は分からないでしょ。何事も実際に試してみなければよくわからないということ。考えるより行動あるのみだよ!」
 少女は満々たる自信を持っているようだ。不安すらも跳ね除けるほどの自信に、良子も安心を感じた。どうしても携帯を取り返さないとならない。少女となら大丈夫かもしれない、と思い始めたのだ。気は進まないが、頷いてしまった。
「それじゃあ行こう!」 立ち上がり、スキップをするように歩き始めた少女を、不意に引き止めてしまった。
「あのっ、お名前は?」
「言ってなかったっけ」 振り返った少女が、可愛らしい笑みを見せた。 「あたしはって呼んでね」


 良子を助手席に乗せた車は、今、大通りを走っていた。
「確かこの辺の道路脇に停まっていたわ」 がハンドルを切りながら断定口調で呟いた。どうして断言できるのかはわからないが、嘘をついているようには聞こえなかった。
 前方を見て、道路脇に停車するワゴンがあるか確かめる。時期にワゴンが見える。案外すんなり見つかるものなのか、と思った。 「あ、ありました」
「本当だー」 徐行運転をしながらが目を細める。能天気な口調だ。 「見覚えある?」
良子は首を振った。今日どころか、今まで見たことが無いといっても過言ではなかった。
「どうします?」
「後ろに停めちゃおうか」 の言い方はとても軽い。 「動き出したら、後を付ければいいんだけどなぁ」
 丁度その時、ワゴンがゆっくり動き始めた。車両に混ざろうとしている。
「動くみたいですよ」 良子は思わず隣を見た。まるでが動かしたようだ。明らかにタイミングが良すぎる。
「やった! 付けちゃおう」 車両に混ざったワゴンを見失わないように、の目は前方を見据えていた。
 ワゴンは暫く大通りを流れるように進み、やがて有名デパートの駐車場に入っていった。
 良子たちも後を付けて入る。此処まで堂々とした尾行だと、相手に気付かれそうな気がするのだが、果たして大丈夫なのだろうか。
「気付かれていませんか?」 一応訊ねてみると、がせせら笑った。
「全く気付かれてないわ。おめでたい人たちよね」
 何処に停めようか迷っているのだろうか。ワゴンはゆっくりとした走りのまま、駐車場内を回っていた。
「何人乗っているのか解るんですか」
「うん、多分二人ね」
 一応気付かれないよう、ワゴンから遠ざかった場所に停車させる。暫く様子を見るつもりだろうか。
「さてさて、どう致しましょう」 が演説口調で言った。誰かの真似をしているようだ。 「これから携帯を取り戻しに行く?怪しげな男が乗ってたけど」
『怪しげな男』 と聞いて、良子が顔を強張らせる。決断に迷ってしまった。
 携帯は必要だ。だが、取り返す時に危険が伴うとなると、不安になるのも当たり前だろう。
「どうしよう」 誰に言うでもなく呟くと、隣のが答えた。
「じゃあ、あの男でも尾行しちゃう?」
「え?」 が指を差した先を見る。ワゴンから男が一人降り立った。
 男は文字通りの不振な格好をしていた。深緑のニット帽に色のついた眼鏡をつけている。成人男性に比べると小柄で、良子は一瞬子供かと目を疑った。
 隣を見ると、がもう運転席から降りている。 「さぁ行こう!」
「なんだか楽しそうですね」 車から降りた良子が小さく笑った。苦笑したが弁解する。
「面白いことに首を突っ込んでしまう性分なのよね、あたし」


 男は、早歩きで建物に入っていった。大手銀行の看板が見える。恐らく此処だろう。良子はその銀行に見覚えを感じた。よく使用する銀行ではないか。
 隣のが 「げっ」 と絶句した。ばつが悪そうな表情を見せている。
「ねぇ良子ちゃん、外で待ち伏せしない?」 声色が先ほどと全く違う。どうしたのだろうか、と思わず首を傾げてしまった。
 青褪めた理由が知りたかったが、銀行の前まで来て思い出した。 「そうだ、お金を下ろさなくちゃ」
 先に良子が入り、ATMに並んだ。ふと横を見ると、が観念したような顔をして並んでいる。
さんは外に出ていてもいいですよ」
「大丈夫よ。早く済めば問題ないわ」 と言ったが、心なしか落ち着きが感じられない。何度も時計を見たり、ドアを見たりしている。時間に余裕が無いのだろうか。それとも誰かに逢いたくないのかもしれない。どちらにしても、先ほど知り合ったばかりの良子には分からない事情だ。
 出来るだけ早く終わらせようと決心したその時だった。真後ろに人の気配を感じた。一瞬だけ後ろを見た。良子の顔まで青褪める。と跡をつけていたはずの男が立っていた。
「動くな」 男が呻くような声を出した。良子にだけ見えるように、刃物のようなものを突きつける。
 どうしよう、と内心で焦りながら、良子はを見た。にも異変が解っていたみたいだ。彼女の深刻な表情を始めてみた。
「隣の友達も、妙な行動を起こすんじゃねぇぞ」 の身体が揺れた。後ろを見ると、彼女の腕が男に掴まれているのが解った。友人だと思ったのだろう。見られたからには逃がすわけが無いことくらい、良子にも分かっていた。
 咄嗟に動いて男を欺き、の腕を引っ張って逃げ出そうか、と考えた。しかし、実行することは出来なかった。
 突如、乾いた音が轟いた。銃声のような音だ。良子だけじゃなく、と男もカウンターのほうを見る。客や銀行員がざわめく声が聞こえる。
 恐らく銀行内の人間の視線を集めたものが、カウンターに乗っている。三人の男だ。黒色のスーツに同色のサングラスをかけていて、拳銃を手にしている。良子は小説の世界でしか知らなかったが、間違いない。男達は銀行強盗だ。
「あぁ最悪」 堪りかねたが呟いた。 「今日は災難が降り注ぐ日だわ」



□ author's comment...

 えーと・・・これは夢じゃありませんね。
 「日常と襲撃」の、“日常”の部分に当たります。一人で出てましたからね、他の人も。
 どうやって参加させようかと考え、良子さんと見知って参加する方法を考えたわけです。
 此処までのプロットはめちゃくちゃ楽に出来たけど、ここからどうしようかな(苦笑)
 ちなみにWordで5枚。10ページ分だから普段より少なめです。

 date.060731 Written by Lana Canna



← come back behind     advance to next →
template : A Moveable Feast